記事詳細

【あの人も愛した 京ぎをん浜作】各界の大物が集まった月1回の「浜作会」 (1/2ページ)

 1936年、月1回旬のものを味わう「浜作会」が始まった。提唱者は後に朝日麦酒(現アサヒビール)を創設した山本為三郎。大倉財閥の2代目のホテル王・大倉喜七郎男爵が名誉会長で、幹事役は毎日新聞京都支局長の岩井武峻。岩井は「今日の浜作」を新聞に連載した。浜作を見れば世の動きがわかるほど、各界の大物が集っていたわけだ。

 以来戦中の2年の休みを挟み、現在まで900回以上続く。集まった面々は鉄道王の根津嘉一郎、銀行家の川喜田半泥子、阪急東宝グループ創設者・小林一三、高島屋の飯田新七、月桂冠代々の社長ら財界の雄だ。

 当時の財界人はとりもなおさず文化人だった。半泥子は「昭和の光悦」とうたわれた陶芸家で、茶人だった嘉一郎父子は根津美術館をつくり、一三は宝塚歌劇を創設、茶人にして美術品収集家だった。

 それゆえ、浜作会に超一流の芸術家が集うのは必然だった。近代日本画の先駆者で第1回文化勲章受章者の竹内栖鳳、洋画の重鎮・須田国太郎、日本画家の大家・福田平八郎、橋本関雪、堂本印象と画壇の大御所が毎月第2月曜の夕に浜作の味を堪能した。

 美食のつながりは国境を越える。日本の民藝運動に共鳴したバーナード・リーチは陶芸の巨匠・河井寛次郎や板画家の棟方志功らと店を訪れた。初代は生魚を食べない英国人のため鶏もも肉の炭火焼を出し、リーチはレモンと醤油で味わった。浜作の暖簾は34年にリーチがデザインしたものだ。浜作には寛次郎の器が多くあり、今も当代の料理を乗せている。そこには鑑賞のためでなく「用の美」を唱えた寛次郎の思いも息づく。

関連ニュース