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【大谷能生 ニッポンの音楽教育150年間のナゾ】とりあえずの終わりに(1) (1/2ページ)

 この連載で調べて書いてみたことを、最後に調査報告書の体でまとめてみます。

1)平成時代の小中学校の「音楽の教科書」では何を教えることになっているのかを調査してみた。動機は、けっこう多くの人が「大人になってから楽器を始めること」に心理的抵抗を持っているように思われたから。演奏することへのハードルの高さは、学校教育における音楽の教え方に一つの原因があるのではないか、という疑問からスタート。

2)実際に使われている教科書を教科書センターなどで集めて読んでみる。中学校の「音楽」の教科書を出版しているのは、現在のところ「教育出版株式会社」と「教育芸術社」の二社。どちらも「器楽」の教科書が独立して一冊になっている。

3)読んでみると、内容的には、キチンとやればギターおよびピアノで弾き語りくらいまでは出来るほどの技術が得られるようなカリキュラムではある。あと思っていたよりも「鑑賞」や「音楽史」の教材は多くない。

4)意外だったのは「邦楽」の教材が多いこと。三味線、琴、尺八といった邦楽楽器を「演奏」するためのページが、リコーダーやギターとほぼ同じくらいある!

5)これっていつから? と調べてみると、筆者が使っていたような昭和後半の教科書にはほとんど(まったく)邦楽の演奏教材はない。始まったのは平成半ばからの模様。平成時代の中学の音楽はドレミにプラスして三味線などの演奏が必修になっているのである。

6)もっと昔はどうだったのだろうか。太平洋戦争前だと邦楽は必修だった? そもそも学校教育で「ドレミ」を教えはじめたのはいつから? という疑問を覚えたので調べてみる。

7)いろいろ読んでみると、日本の音楽教育のその始まりは、明治一〇~二〇年代の文部省「音楽取調掛」という機関が調査・設定した路線によって進んできたということが判明。

8)そしてその方針は、江戸時代までに培われてきた三味線音楽による邦楽を全面的に排除し、一部の雅楽を除いて、公式の場で演奏される音楽をすべてドレミのシステムによる西洋音楽スタイルで統一することだった。

9)初代長官・伊沢修二は、アメリカで初等音楽教育法を勉強して帰国。アメリカで学んだ音楽教育学者メーソンも来日させ、彼の手による「唱歌」教材でもって、ニッポンの音楽教育はスタートする。

10)伊沢は公教育に洋楽をスムースに導入するために、「我が国の伝統的音律と西洋のドレミ・システムには髪の毛一筋も違いはない。あるのは旋律と和声の組み立て方だけである」という独自の研究結果を文部省に報告。このリポートが受理されて、小学音楽教育はドレミの唱歌で進められることになる。