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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】アーティストとして評価され歓喜! 業界的には“ノーマーク”だった? (1/2ページ)

 デビューして4カ月がたった1982年9月。「ザ・ベストテン」(TBS系)と「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)という当時、圧倒的な人気を誇った音楽番組に立て続けに出演して、セカンド・シングル「少女A」の風向きは大きく変わった。

 出演直後のオリコンのシングル・チャートは、82年9月27日付で前週21位から14位にアップ、さらに10月4日付では9位にランクされ、念願のベストテン入りを果たした。当時を知る音楽関係者は振り返る。

 「いわゆる“花の82年組”といわれる新人でも明菜は6、7番手で、業界的には気にも留められない、ある意味ノーマークでした。そもそもテレビ出演にしても、同期デビューの歌手がメインの音楽番組に次々に出演してデビュー曲を歌う中、明菜のデビュー曲はほとんど歌われなかったと言ってもいい。にもかかわらず、いつの間にかファンを全国に広げていたことが業界内の大きな驚きになりました。そもそも新人のシングルがベストテン入りするのは松本伊代、シブがき隊に続いての快挙でした。しかも、発売から2カ月もたってのランクインは異例中の異例でした。急に問い合わせも殺到したと思いますね。当時、事務所だった研音は音楽ではまったくの素人でしたし、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)に問い合わせてもスケジュールがなかなか出てこなくて…。それでも(明菜を)軽く見ていた出版社にはボヤく声もあったようです。いずれにしても音楽番組でも『ザ・ベストテン』はラジオのテレビ版のようなもので、ランクインさえしたら毎週、出演することができたので、明菜にとっては大きなチャンスでした。とにかく高視聴率の音楽番組でアーティスト性をアピールできたことは確かです。彼女の場合、楽曲はもちろんアーティストとしてもインパクトもありましたからね」

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