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【あの人も愛した 京ぎをん浜作】とんかつの味を忘れなかった小津安二郎 時代劇スターたちの好物は名物の鯛 (1/2ページ)

 戦後すぐの1947年に日本社会党の片山哲が総理大臣に任命された。片山内閣は戦後の食糧難を乗り切るための政策を打ち出すが、その影響で高級料理店が半年ほど営業停止に追い込まれる。

 浜作はこの間、とんかつ屋に業種替えして苦しい時期をしのいだ。河井寛次郎らの名器にとんかつを入れて、一力などのお茶屋に仕出しを運んだ。浜作のとんかつは大人気になり、映画スタッフが大勢でくると、女将は本店の向かいにあった自邸の2階でとんかつをふるまったという。

 戦後の混乱期に食べたとんかつの味を後年まで忘れなかったのが小津安二郎だ。今年で96歳になる番頭の長谷川憲市さんによると、浜作が高級料理店に復帰した後も、小津はカウンターには座らず、2階の座敷でとんかつを注文した。とんかつはやめていたので、豚肉の用意がなく初代は嫌な顔をしたが相手が巨匠ゆえ断ることもできず、急いで豚肉を買いに走らせるのだった。「小津先生には他の映画人とは違う独特のオーラがありました」と長谷川さんは回想する。長谷川さんが店のサイン帳に署名を頼んでも「俺は俳優じゃないから」としてもらえなかった唯一の監督だった。

 小津と同じく松竹の巨匠木下恵介も常連だった。剣戟スターの阪東妻三郎主演の晩年の傑作『破れ太鼓』の撮影では2人で連夜訪れた。その時に初代と3人で収まった写真が店に残る。阪妻は富永町の並びにあったお茶屋・備前松と懇意にしていたので、いつもそこから浜作にやってきた。息子の田村高廣も後年まで浜作に通った。

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