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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】シングルセールスは藤圭子並み快挙も…賞レースは6、7番手のまま (1/2ページ)

 「少女A」に続くサードシングル「セカンド・ラブ」は見事に成功した。

 「狙ったっていうのはうまく行ったから、そう言われるようになっただけのこと。実際は方向性は二分していたし、ギリギリのところで判断してきた部分はありました。ただ、どういった方向に行くにせよ、中森明菜という歌手は歌唱力が絶対的だったので、とにかく曲を優先したことが良かった。そういう意味で作品が評価されたことが、結果的に明菜のアーティスト性にも結びついたと思っています」

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課で明菜のプロモートを担当してきた富岡信夫氏は振り返る。

 その上で「今、改めて思うのは、ウチの会社は業界的には弱かったのですが、事務所も音楽は明菜が初めてだったので、音楽の制作面はすべて任せてくれたことも良かったのでしょう。上司も事務所に意見してくれたので、作品に対して事務所からは何か言われたことはなかったと記憶しています。われわれはレコードを売ることが仕事ですが、作品に何も言えず、宣伝費だけ出すのでは寂しいですからね。いい時代だったし、あるいは、時代が明菜を生んだのかもしれません」。

 「少女A」は1982年11月22日付のオリコンチャートで12位となり、ベストテンから外れたが、TBSの人気音楽番組「ザ・ベストテン」では11月25日放送分までランク入りした。一方、「セカンド・ラブ」も11月10日に発売されるや11月22日付のチャートで2位にランクインした。この見事なまでのスイッチは業界内でも話題になったのはいうまでもない。

 音楽関係者は「オリコンのデータを見ると、明菜のチャートは宇多田ヒカルの母、藤圭子さん以来のものだといえます」と前置きした上で、その快挙を説明する。

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