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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×速水健朗(2) 雑誌がにぎわっていた時代 「当時、音楽ページは好き勝手できて…」  (1/2ページ)

前回から続く)

大谷:どこで働いてたの?

速水:『週刊アスキー』。いまはもう会社ごとないですね。

大谷:割といろいろと、ヤバい話を聞くアスキーですな(笑)。

速水:偽装請負的な労働環境とかでしょ(笑)。隣の部署が『ファミ通』だったりして、みんな朝まで働いてたりしました。本当に当時の初台のアスキーのビルは、不夜城と呼ばれていて。僕は大学生の頃に95年にバイトで入ってからそこで働いてて、当時は雑誌業界の景気も良かった。確か96、7年が出版及び雑誌の総発行部数のピークで【1996年あたりがピークだったらしい。全国出版協会のサイトなど参考 https://www.ajpea.or.jp/statistics/】。

 音楽ページの担当をしていた90年代半ばのこぼれ話的には、当時、レコード会社がR&Bの宣伝の部門をつくったりしてたんだよな。TLCとかが売れて。あと、宇多田ヒカルはデビュープロモーションのときに当初、グラビアで使ってくれって売り込みがあった。あとで『Automatic』が大ヒットしたときに、編集部中で「あー」って。売り込み断ったグラビア担当者吊し上げたり。

 音楽ページは、好き勝手できて『週刊アスキー』だけどデリック・メイも取材したし、コールドカットのマット・ブラックとかを取材したりしてました。この2人は、コンピューター好きでもあって、そういう話も聞いたはず。当時、そういう話は大体、音楽ライターの佐々木敦さんの会社が窓口で、インタビューもお願いしてた。

大谷:パソコンも雑誌も賑わっていた時代ですねえ。

速水:音楽雑誌も90年代に入って変わりましたよね。読んでたのは「MIXI」からリニューアルされた頃の『REMIX』とか。

大谷:REMIXってその頃はどんな人が登場してましたっけ。

速水:高校から大学に入るぐらいの頃に、プライマル(・スクリーム)の『ローデッド』とかでした。当時のUK、いわゆるマッドチェスターとかの全盛くらい。ちょうどレイヴ・カルチャーって言葉が入ってきたころ。でもそもそもREMIX自体があんまり本屋に置いてなくて。街の一番大きな本屋さん紀伊國屋書店に3冊しか入らない。新潟なんですけど、古町かな、一軒だけ輸入レコード屋さんがあって、そこが確かラバーソールって音楽をかけるカフェというかバーもやっていて、REMIXのバックナンバーが揃っていたので読ませてもらってた。

大谷:わりと真っ当な90s洋楽リスナーだったのね。