記事詳細

【あの人も愛した 京ぎをん浜作】喜劇王チャップリンが堪能した日本の味 (1/2ページ)

 今回は日本映画界の全盛期の関係者、国際的なスターと浜作との交流を書いたが、浜作を訪れた国際的な映画スターといえば、やはり喜劇王チャールズ・チャップリンははずせない。日本人の高野虎市が秘書を務め、ハリウッドの自邸では最も多いときで17人の日本人が働き、歌舞伎や文楽といった日本文化に魅せられたチャップリンは戦前戦後を通じて4回来日している。

 「チャップリンと日本食」といえば、初来日の1932年に東京の花長でエビのてんぷらを30匹食べて「テンプラ男」とあだ名されたことが有名だ。しかし、京都でてんぷらを食べることはなかった。そこが日本に来れば「スシ! テンプラ!」という一般的な外国人とは違うところ。高野の回想によると、日本通の喜劇王は「忠臣蔵」を見る前に周囲にストーリーを説明していたほど。

 山口淑子さんから聞いた話だが、土産に小さなこいのぼりを持っていくと、子供たちを集めて「これは空を泳ぐ魚だ」と説明し、風のない日だったので自ら庭を走り回ってこいのぼりを泳がせた。そんなわけでお江戸ではてんぷらと江戸前寿司を楽しみ、京では懐石に舌鼓を打ったわけだ。

 チャップリンは戦前戦後とも浜作に通い、京の味を堪能した。初代主人の森川栄氏は西洋人にも日本の味を楽しんでもらおうと工夫し、アワビのバター焼きとウズラのローストを提供。2本の包丁の背でウズラの骨が少し残る程度に叩いて、絶妙な加減で焼き上げる。包丁の背でリズミカルに叩くために初代は太鼓の稽古までしたという。その包丁の美技に感嘆したチャップリンが拍手喝采を送ったことは、初代の一生の誇りだった。

関連ニュース