【渡哲也さん 仁義の男の美学】「高倉健の次のスターに」東映・岡田茂社長からラブコール 交渉に同席したのは「裕次郎さんを慕う戦友」 (1/2ページ)
1973年暮れに発売された渡哲也さんの「くちなしの花」(74年度シングルチャート7位)は74年の年明けからグングン売り上げを伸ばした。
1月からは渡さん主演のNHK大河ドラマ「勝海舟」もスタートし、番組人気が相乗効果を生んで新曲を強烈に後押ししたのである。
この年、俳優として、歌手として、もっとも異彩を放った渡さんは、映画各社から引く手あまただった。
渡さん獲得に一番熱心だったのは、ワンマンで知られた東映の岡田茂社長である。岡田社長は実弟の渡瀬恒彦さん(2017年没)をスカウトした人物であり、渡さんを「高倉健の次の東映の看板スターにしたい」というのが夢だった。
渡さん自身も知人に「アクション映画をやりたい。自分のキャラクターを生かしてくれるのは東映かも知れない」と漏らす時期もあった。
当時の東映は、プロデューサーの俊藤浩滋氏が鶴田浩二さんや高倉健さんらを伴って独立するというお家騒動があり、東映は健さんに次ぐスター作りが急務だった。
ちなみにこのお家騒動は、任侠(にんきょう)路線を貫こうとする俊藤さんに対し、実録路線を強調する岡田社長が「鶴田浩二も高倉健もしばらくやめや」と一喝。怒った俊藤さんは鶴田さん、健さんを引き連れて独立を計画したが、東急の五島昇会長の仲介で元のさやに収まっている。