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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】賞レースよりレコード・セールスに全力注ぐ 難題抱えた「1/2の神話」 (1/3ページ)

 1982年の「第24回輝く! 日本レコード大賞」(TBS系)の新人賞。

 候補者5枠はシブがき隊「100%…SOかもね!」、石川秀美「ゆ・れ・て湘南」、早見優「アンサーソングは哀愁」、堀ちえみ「待ちぼうけ」、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」が選ばれ、中森明菜は小泉今日子とともに入賞できなかった(最優秀新人賞はシブがき隊)。

 所属レコード会社のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)邦楽宣伝課で明菜の宣伝担当だった富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は「『レコード大賞』では悔しい思いをしたことは確かです。ただ周囲がいうほどの大きなショックではなかった。確かに新人賞レースでは6、7番手でしたが強がりではありません。明菜の実績は誰もが分かっていたので『無理に取りにいく必要もない』という思いもあったのです。話したわけではありませんが、候補者に入れなかったことで明菜自身も気にする雰囲気はありませんでしたし、そもそも、このときは『セカンド・ラブ』が絶好調だったので、逆に意気込みのほうが大きかったように思いますね」と振り返る。

 一方、「もちろんライバルは多かったのですが、半年が過ぎたらデビュー当時に感じていたような焦りはなかったですね。とにかく明菜の場合はいい作品を作り続けることだけに専念すればいいと思っていましたから。賞レースで結果を出すことも重要ですが、明菜はレコードが売れたら宣伝費もアップしたので、われわれはやはりレコード・セールスに全力を注いでいましたね」。

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