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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】賞レースよりレコード・セールスに全力注ぐ 難題抱えた「1/2の神話」 (2/3ページ)

 「レコード大賞」の新人賞は逃したが、同じTBS系の「ザ・ベストテン」で「セカンド・ラブ」は12月16日放送で1位になり、「82年は明菜で終わり、83年は明菜で始まる結果になりました。そういった意味では新人ながら明菜は82年を代表する歌手の一人になったと自負しています。もちろん誰も想像していなかった…快挙だったと思います」(富岡氏)。

 ちなみに、この年の「日本レコード大賞」は視聴率で前年を4ポイント下回る31・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

 そんな中、もめていたのが「セカンド・ラブ」に続くシングルだ。

 ただ明菜の路線はワーナーと所属事務所の間でもほぼ決まっていた。富岡はいう。

 「言うまでもなく、明菜の場合、歌唱力はもちろん表現力も備わっていたので、あとは路線。要は、方向性さえ間違わなければ絶対に息の長い歌手になると思っていました。それは上司も同じ考えで自信もありました。いわゆるツッパリ路線とバラード路線、その一方に偏ってしまったら単なる企画物になってしまったでしょう」

 そのような考えは、ワーナーで明菜の制作宣伝を統括していた寺林晁氏(現エイベックス・レーベル事業本部アドバイザー)にもあった。寺林氏は「コンセプトを持った作品作り」にこだわってきた。それだけに「少女A」に続く「セカンド・ラブ」が見事にハマったことで今後の路線に確信を持った。寺林氏は振り返る。

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