記事詳細

梨元勝さん 大物スターも一目置いた取材力と行動力 (1/2ページ)

 圧力を跳ね除け、微塵も忖度しない。事務所の大小に関係なく、スキャンダルを報道する姿勢を目の当たりにした芸能人の間では、「梨元に言いつけるぞ!」という言葉が流行した。

 梨元勝さんがレポーターに転身した1976年、歌手の克美茂が殺人事件を起こす。他局が本人を追い掛ける中、梨元は被害者の実家を直撃。部屋に招き入れられると、母親が仏壇の前で悲哀を語る傍らで、父親は台所のテーブルで出刃包丁を叩きつけた。戦慄的な映像は大きな話題を呼び、梨元勝は日本中にその名を轟かせた。

 「恐縮です!」の代名詞で知られた突撃レポーターの先駆者は、我先に現場に向かった。会見には2時間前に到着し、タレントに最も近い場所を確保した。岡田有希子が飛び降り自殺を図った時も現場に一番乗りし、事務所内に入り込んで専務にいち早くマイクを向けた。同時期に芸能レポーターとして活躍した前田忠明氏が語る。

 「各局も続々と押し寄せたので、相澤秀禎社長が経緯を話してくれた。あの頃は現場に何社も集まるから、自然と会見せざるを得ない状況になった。その中で梨元はよく一番乗りしていたよ」

 スクープを追い求める執着心に、大物スターも一目置いていた。勝新太郎がホノルル空港でコカインと大麻所持で逮捕された時、各社が勝との接触に腐心する中、梨元は一緒にゴルフをするほど食い込み、独占で肉声を伝えた。暴行事件を起こした木村一八が少年院から出所すると知ると、すぐに父親の横山やすしを訪ねた。1986年から約8年にわたり、梨元の事務所で行動を共にした井上公造氏が語る。

NEWSポストセブン

関連ニュース