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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×宮里潤(1) 僕にとって90年代はまるまるモラトリアムというか… (1/3ページ)

 第一回はライター/パーソナリティーとして活躍している速水健朗氏との対談をお届けしました。話していて感じたのは、ぼくたちが子供時代を過ごした80s~90s前半の、メイン・カルチャーではない(メインはTVでしたねやっぱり)、ちょっと周縁に位置する手応えのある文化を届けてくれるメディアは「雑誌」だった、ということです。あと、おそらくFM・AMラジオのプログラム……なんですが、ぼくはラジオはほとんどまったく聴いていなかったので、この点に関してはあんまり実感がありません。雑誌文化の流れのひとつに「音楽雑誌」の隆盛もあった、という感じでしょうか。

 第二回のゲストは、編集者の宮里潤さんです。宮里さんは一九七四年生まれ。晶文社、本の雑誌社、というなかなかコアな出版社に勤め、ぼくは『植草甚一の勉強』と『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』の二冊を彼の編集で作らせていただきました。彼の経歴と音楽履歴に関しては対談本文で、ということで、早速お楽しみください。

■宮里潤(みやさと じゅん) 編集者。複数の出版社をへて、現在は毎日新聞出版に在籍。これまでの担当書籍に大谷能生『植草甚一の勉強 1967-1979全著作解題』、北沢夏音『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』(以上、本の雑誌社)、ECD『他人の始まり 因果の終わり』(河出書房新社)など。

■大谷能生(おおたに よしお) 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。

宮里潤:どんな話をすればいいんですか?

大谷:90年代話ということですね。宮里さんは90年代は…

宮里:ぼくは1974年生まれなので、東京に出てきたのが93年なんですね。で、ぼくはモラトリアム期間がけっこう長くあって、90年代はまるまるモラトリアムというか、院生とかやりながらブラブラしていたから、そういう意味では、決して90年代は明るい時代ではなかったなあと(笑)、振り返れば思いますけど。まともに働き出したのは、2000年に「まんだらけ」に入った時からなんですが……。

大谷:あ、「まんだらけ」に居たんですね。

宮里:そう。それまでは、まあ、現在に繋がる色々な出会いもあったんで、重要ではあるんですけど、音楽に関してはですね、一番聞いていたのは80年代の後半で、10代の、まだ田舎にいた頃ですね。もちろんまだインターネットとかない時代だったので、雑誌を必死に読んで、そこで得た情報を元に乏しいお小遣いからレコードを買うお金を捻出して……レコードじゃなくて、カセットですね、最初は。あと、ではじめたばかりのCDとか。12歳ぐらいからですかね。

大谷:ちょうどメディアがCDに切り替わる時ぐらいですね。

宮里:そうそう。覚えているんですけど、まだパッケージに縦長の大きなカヴァーというか、箱が付いていて、それが地元のホームセンターの片隅で売ってたのを見たのが最初です。

大谷:ありましたね。一瞬だけ。あれは、それまでのレコードの棚の大きさに合わせるために付いてたってことです。CDへの移行って、よく考えれば不思議なくらいにスムースに進んだので、棚の大きさもCDに合わせてすぐ変わったから、あの箱に入ったCDって、90年代にはもう輸入盤屋さんくらいにしかなかった。

宮里:あ、そういうことだったんですね。ぼくが音楽を聴きはじめた頃は、お店にレコードもあって、あと、カセットテープのコーナーもあって、CDがではじめて……みたいな時期でしたね。