記事詳細

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】『1/2の神話』発売前にワーナー“お家騒動” 新レコード会社にスタッフ引き抜き、明菜の移籍交渉も (2/3ページ)

 ワーナー・パイオニアは社名の通り、米国のワーナー・ブラザースとパイオニアの合弁会社だった。当初は、そこに渡辺プロダクションも加わっていた。ところが「渡辺プロが78年に新たにSMSレコードを設立してワーナーから離れてしまった。結果、ワーナーの資本構成が大きく変わり、経営の主導権をワーナー・ブラザースに握られてしまったことが引き金になったのだと思います」(前出の関係者)。

 この資本構成にパイオニア出身者だった役員は不満を感じていた。

 「そのタイミングで生まれたのが明菜でした。そこで新規事業を担当していた役員が新しいレコード会社の設立を仕掛けたのです」(前出の関係者)

 この役員が真っ先に相談したのがプロパーの塩崎喬だった。塩崎は、ワーナー設立時に渡辺プロの系列会社「渡辺音楽出版」から設立メンバーとして送り込まれた。設立後はディレクターとして小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』や『私の城下町』、さらに狩人の『あずさ2号』などのヒット曲を手掛けてきた辣腕(らつわん)制作マンだ。塩崎が当時を振り返った。

 「明菜の移籍を想定していたとは聞かされていませんでした。とにかく新しいレコード会社の設立に協力してほしいと。私的にも関係が深かった方だったので協力は約束しました。ただ、条件としてワーナーからはアーティストを引き抜くことだけはしないということだったのです」

関連ニュース