記事詳細

【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×宮里潤(3) シュガー・ベイブや大滝詠一も、この頃に初めてちゃんと聴いた (1/3ページ)

前回から続く)

大谷:宮里さん、90sはブラブラしていたとのことですが、ブラブラしていられるような余裕があったよね。社会的にも。

宮里:ありましたね。普通に「働きたくないなあ」って思っていて。「まんだらけ」に入ったのも、好きなことをやっている人が声をかけてくれたので、じゃあやってみるか、って入って、そこからそのまま今に至るって感じなんで。

 例えば、「本の雑誌」編集部にいたときに、バイトの大学生とかが来る訳ですけど、彼らが年々、なんというか、切実な感じになっているのを感じたんですよ。就職しなくちゃいけない、社会にきちんと適応しなくちゃならない、失敗出来ないっていうプレッシャーが強く感じられて……。大学三年生が終わると、みんなキチンと「就職活動に専念するのでバイトは辞めます」って辞めてゆく。出版社のバイトなんて、昔はそんな感じじゃない人ばかりが来てたと思うんですが。

大谷:いわゆる、フリーターって言葉が作られて、定着したのってlate80s~early90sの頃だと思うんですが、当時は割と好意的っていうか、就職しなくてもバイトで食べていける、会社に入らなくても好きに暮らせる、みたいな、自由で勝手な生活が出来るっていう側面が若者たちに魅力として感じられていたと思います。

宮里:そうですね。まだ社会に余裕があったんでしょうね。

大谷:僕も90年代の半分は学生で、その後半は医療ボランティア(治験)を引き受けたり、ウィークリーマンションの管理人をしたりしながら同人誌作ってたんで(笑)、まったく金はなかったですが、それが割と普通な感じだったような。まあ、そういった雰囲気の先に現在のニッポンがある訳ですが……話は変わりますが、最初に入社した「まんだらけ」での仕事で、編集のやり方を覚えたって感じですか。「まんだらけ」には何年いました?

宮里:えーと、6年ですね。

大谷:で、そのあとに晶文社に入る。