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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】止まらぬ「ハミングバード」移籍話 所属事務所の“鶴の一声”出ず…ディレクターは一転残留 (1/3ページ)

 オリコンのシングル・チャートで初登場1位(1983年3月7日付)を獲得した『1/2の神話』。中森明菜にとっては4枚目のシングルにして初の快挙だった。今でこそ“花の82年組”と称される中で、デビュー時は「6、7番手」だった明菜がトップ・アイドルへと躍り出た。

 だが、その人気が禍(わざわい)となった。ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で“政争の具”に利用される事態に陥ったのだ。邦楽宣伝課で富岡信夫(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)の後、明菜の担当プロモーターになった田中良明(現在は「沢里裕二」名で作家活動)は振り返る。

 「邦楽制作担当の役員が退任に追い込まれたことが騒動のきっかけ。制作、宣伝、営業の主力社員に『一緒に新しいレコード会社を設立しよう』と持ちかけたのです。当初は明菜を担当したプロデューサーやディレクターも同調し、明菜の事務所とはプロデューサーが折衝していたようです。われわれには明菜の動きはまったく知らされず、役員以下数人が水面下で動いていたようですね。富岡さんも新たな挑戦をしたくて移ったので、後になって明菜の移籍が進んでいたと聞いたときはさすがに驚いたと思いますよ。役員は明菜のコアスタッフを根こそぎ引き抜けば明菜も自然についてくると考えていたようです。ただ甘かったのは実質的に明菜の制作宣伝を統括していた寺林(晁)さん(現エイベックス・レーベル事業本部アドバイザー)の意向を無視したことです。寺林さんは明菜のお母さんにも信頼を得ており、何より明菜を騒動に巻き込みたくなかったようです」

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