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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】移籍騒動決着しスタッフ総入れ替えも… 賞レース総ナメにしようと現場は一丸 (1/3ページ)

 所属レコード会社、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)のお家騒動から移籍問題にまで発展した中、1983年2月23日に発売された『1/2の神話』だったが、セールスは好調で、人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では7週間にわたって1位にランクされた。

 「新しい曲もどんどん出てきているので…」

 明菜は言葉にしていたが、細川たかし『矢切りの渡し』、わらべ『めだかの兄妹』、ラッツ&スター『め組のひと』などのヒット曲が並ぶ中、デビュー1年もたたない明菜の快進撃は当時の音楽業界に大きな衝撃を与えた。

 明菜はデビュー以来、来生えつこと来生たかお姉弟のピュアなバラード曲と、コピーライター出身の新人作詞家、売野雅勇のいわゆる“ツッパリ少女”の楽曲を交互に発売するスタイルをとってきた。

 ワーナーで明菜の制作宣伝を統括していた寺林晁(現エイベックス・レーベル事業本部アドバイザー)は「作品は当初からコンセプトを重視してきた」とした上で、「シングルについては1人の少女をモチーフにした“バラード3部作”と“ツッパリ3部作”を交互に出していくことで、明菜のボーカル力をクローズアップしたいと思った。実はこの戦略が、その後の明菜の“歌姫シリーズ”にも結びつけることができました。明菜自身にもいろいろな思いがあったかもしれないが、勘のいい子でしたからね。われわれの戦略を最終的には理解してくれた」と振り返る。

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