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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×AG(1) 「屋根裏、ラ・ママ、ロフト…90年代前半はずっとライブハウスに行ってた」 (1/3ページ)

 第三回をお送りします。今回のお客様は、えーと、もう何年くらいの付き合いでしょうか?  初めてお会いして、それこそ以下の本文で触れられている「ニフティサーブ」からの仲間の集いに混ぜてもらうかたちで、みんなで蕎麦食べに行ったのは、多分2000(1999?)年だったと思うので、もう20年来の友人のAGちゃんです。

 この企画、当然半分くらいは女性に登場をお願いしたく、AGちゃんはlate80sからライブ現場に通い続けている生え抜きの、生粋のバンド愛好者として、是非とも体験談を伺いたいと思いお願いいたしました。

 まあ、普段は、一年に1~2回、みんなで一緒に美味しいもの食べに行く、みたいな感じなんですが、実はこれまで来歴とかきちんと聞いたことがなくて、ちょうどいい機会なので色々と話を伺いました。パソコン通信経験者にはなかなか懐かしい話が出てくると思います。では~。

■AG(あぐ) webディレクター。現在は渋谷の制作会社に在籍。1990年代初頭、パソコン通信NIFTY-ServeのFROCKボードオペ就任。94年 TOKYO-FM「TOWN MUSIC」サブパーソナリティを始めとして、99から2002年「やまだひさしのラジアンリミテッド」web masterなど、ラジオ番組とリスナーをネットで繋ぐ仕事に従事。並行して95年頃から現代美術家・八谷和彦氏の「メガ日記」「見ることは信じること」「PostPet」などにお手伝いで参加。

■大谷能生(おおたに よしお) 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。

AG:お久しぶりです。会うのって一年ぶり以上?

大谷:そうですね。だいたい年単位で、一年に一回会うか会わないかという感じですよね。今年は、まあ、コロナでこんな状況な訳ですが。

AG:でも、だいたい今はネットでやりとりしたりしてるから、あんま会わなくても久しぶりって感じがしないけどね。

大谷:まあ、こういう連載を始めましてですね、90年代の音楽、特にライブに関してはAGちゃんに話を聞くしかないだろうと。よろしくお願い致します。

AG:(資料を色々と見ながら)なんで90年代なのかな、と、ちょっと思ってたんですけど。

大谷:なんだろ。同世代話をしたかったというのはありますね。自分がこれまでずっと音楽をやってきて、でも、私が深く関わってきた現場っていうのは、言ってみればあんまりメジャーとか世間一般とか、それこそ音楽好きだった人たちとの関心ともちょっと違ったところにあったので、改めて、業界の内部事情とかではなくて、普通のリスナーだった人たちのいろんな話を聞いて、「一般的には」どうだったのか、というような話を、90年代について考えてみたい、といった感じです。と言っても、やっぱり知り合いばっかに話を聞くことになっちゃうので、相当に偏ってしまうのですが。

AG:なるほどね。

大谷:もう一時代過ぎているんで、「ああいう時代だったよね」みたいな、まとめに入りやすい感じになってると思うんだけど、むしろもっと拡散してゆくような話が出来たらと思っています。それで、AGちゃんだと、90sの音楽の話と、その前半のね、「インターネット以前」のパソコンでのやりとりについて、いわゆる「パソコン通信」時代の音楽ファンの環境について伺えるかなー、と期待しているところです。

AG:今回の対談のために、90sの自分史を書き出して年表を作ってみたのですよ。自分が当時どんな仕事してたかっていうのと、そのあたりで何を聴いていたのか、っていうのを時系列で並べてみた。で、それで改めて確認できたのは、自分の仕事、職歴と、どんな風にその時に音楽聴いていたのかっていうのは密接に関わっていて、で、さらに、先にまとめちゃっていうと、90年代前半と後半でかなり違っていて、後半はリスナーとしてはかなりスカスカなんですよね。これは単純に、90年代前半はかなり暇だったってこともあって。90年までは学生で、91年に就職するんですね。短大出てそのまま、商社で三年ぐらい普通のOLやってた。で、ネットとラジオの仕事をし始めたのが93年の4~6月くらいからで……。