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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】周りの考えるアイドル衣装に「キャバレーみたい…」と反発 ズバ抜けたファッションセンスと「明菜」開花 (1/3ページ)

 中森明菜の『トワイライト-夕暮れ便り-』はセールスこそ伸び悩んだものの、一方で有線やラジオ、テレビなどの露出は絶好調だった。ある音楽関係者が振り返る。

 「ラジオでは“電リク”といわれた電話リクエスト番組、テレビでは『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)をはじめ『ザ・ベストテン』(TBS系)や『ザ・トップテン』(日本テレビ系)といった高視聴率の歌謡番組が連日競い合っている時期でした。その中で明菜は1980年デビューの(松田)聖子と並んで“ポスト百恵”の最右翼として注目されていました。さらにいえば70年代後半はピンク・レディー、80年代は聖子と明菜だったといっても過言ではありません。それこそ明菜を見ない日はないというぐらいの存在となっていました。もっとも明菜自身は山口百恵は憧れの存在だったかもしれませんが、一方で“ポスト百恵”といわれることには抵抗があったと思いますよ。彼女は自分は自分という感じでしたからね」

 彼女のスタンスについては、明菜のプロモーターだったワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)邦楽宣伝課の田中良明(現在は「沢里裕二」として作家活動)も「“ポスト百恵”になろうなんて1ミリも考えていませんでしたよ。われわれにしても彼女の存在を認知してもらうための表現に過ぎませんでした」というが、一方で明菜について最も脳裏に残るのは「衣装へのこだわり」だったという。

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