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【Godiego 45 1976~2021】タケカワユキヒデ「走り去るロマン」でミッキー吉野と“運命の出会い” (1/2ページ)

 1975年の春、ミッキー吉野グループに浅野孝已の加入が決まったとき、グループはある新人アーティストのツアーにバッキング・バンドとして同行中で、浅野が初めて彼らと合流したのはツアーの最終日だった。その新人アーティストの名前はタケカワユキヒデ。当時22歳、東京外国語大学の学生だった。

 父はクラシック音楽の評論家・武川寛海、母方の親戚がスズキ・メソードを創始したヴァイオリニストの鈴木鎮一という音楽一家に、3人兄弟の末っ子として生まれた。幼稚園に入る前からヴァイオリン、ソルフェージュ(楽譜の読み書きなどの基礎訓練)を習い、兄たちの影響でジャズ、ラテン、アメリカン・ポップスなどにも親しむという、まさに「気がついたら家具調度類と同じように音楽があった」と語るとおりの環境の中で育っていった。

 小学生の頃から作曲にも手を染めており、高校時代にはビートルズに影響された英語詞の作品を書き始めた。大学進学後に自作曲のデモテープをレコード会社数社に持ち込み、デビューの機会をうかがっていたときに、音楽プロデューサーのジョニー野村に見いだされ、さっそく彼の下でデビュー・アルバムの制作が始まった。1974年のことである。

 野村は自分の妻で、作詞家の奈良橋陽子をタケカワの創作活動の新たなパートナーとして組ませて、米留学(バークリー音楽大学)から帰国したばかりだった旧知のミッキー吉野に、2曲の編曲とスタジオ・ワークを依頼した。奇しくもそれが、のちのゴダイゴの名曲の数々を生み出していく創作システムが生まれるきっかけとなった。

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