記事詳細

【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×AG・対談を終えて 今から眺めると…懐かしいような、羨ましいような時代? (1/2ページ)

■大谷能生×AG 対談(1)

■大谷能生×AG 対談(2)

■大谷能生×AG 対談(3)

 今回の対談、主な話題は「バンド」「ライブハウス」「クラブ」および「パソコン通信」ということで、僕的にはもう、ザッツ「early90sのサブカルチャー!」という感じで大変に面白かったです。

 現在から見れば、例えば90sの音楽では「渋谷系」というキーワードが割と早めに出て来ますが、本気で売れていたアイテムはビーイング系であったりエーベックス系であったり、80sからつながるアミューズなどのメジャー事務所に所属していたタレントたちだったわけです。まだまだTVの音楽番組は強力で、吉本仕切りの、ダウンタウンが司会を勤めていた『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』のスタートが94年。で、95年くらいから電気グルーヴや小沢健二がこの番組に出始め、ちょっとずつカラオケにこのあたりの音楽が入り始めるのが90sの後半から、ということになります。

 ちなみに現在につながる「通信カラオケ」システムが整備されたのが97年とのことで、初期の頃、僕の友人のミュージシャンたちの少なくない人数が「カラオケ用のMIDIデータを音源から起こす」というアルバイトをしていたことを思い出します。軍歌、ナツメロから、坂本九、サザン、プラターズ、ビートルズ、ライオネル・リッチーその他もろもろ、ここで20世紀のこれまでのヒット曲のすべてをMIDI化して揃え直し、カラオケで歌えるように棚卸しをしたということで、そのための初期投資としてすごい作業量が必要となったわけですが、こうした「カラオケの整備」も、もしかして、90s以降の「ポップス音楽史」の書き直しに影響を与えている可能性がありますね。

 AGちゃんが言っているように、90s前半は、まだ音楽業界でも、インディーズとメジャーとの間には厳然とした区別があった。日本の歌謡曲のメイン・ストリームをざっくりと確認しておくと、60年代に帝国を築いたナベプロ主導のポップス業界に、70sに入ってから日テレ番組『スター誕生!』出身のアイドルたちと、自作自演のいわゆる「ニューミュージック」の歌手たちが割って入り(ヤマハの「ポプコン」出身者もこの枠に入ると思います)、その三つ巴の競合に、戦前から脈々と続いている演歌陣営が時折顔を出す、というかたちで80sの「歌謡曲」が始まります。

 この体制は80sいっぱい続いて、そしてこの体制は、芸能プロダクション、TV局、レコード会社という三者の資本によってコントロールされている商売であって、新人アイドルは「三ヶ月に一枚のシングル盤リリース」を義務付けられていたりもしたわけです。こうした「ギョーカイ」と無関係に自分たちの音楽をやる、そしてそうした人たちが層になってあらたな流行が生まれる、という動きの何度目かの大きな波が、late80s~early90sに起こっており、AGちゃんはその波の直撃を受けたのだなあ、と、話を聴いていて思いました。流行らしい流行のなかった(のかな?)10sから眺めて、懐かしいような、羨ましいような気分です。