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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×AG・対談を終えて 今から眺めると…懐かしいような、羨ましいような時代? (2/2ページ)

 「パソコン通信」については、僕は80s前半のパソコン少年で、90sに入るころにはもうその文化圏から離れていたので話に聞いていただけですが、「ネット文化」の創世記の話は近くに居ただけに何を聞いても興味深い。ニフティーサーブ、ニフのフォーラムに集まった人たちによって日々深夜語られていた事柄のログがあるならば(どこかにあると思いますが)、その貴重さ、および無為さも含めてぜひ閲覧してみたいように思います。

 僕が「パソ通」に触れたのは、大学の(他所の)研究室にあったパソコンで「タイガーマウンテン」にアクセスした時ぐらいかなあ。それが多分96年で、確か99年にはBBSとかに書き込んでネットでやりとりしてて、その時には」もうすでにインターネット環境の整備がある程度進んでいたはずだから、「パソコン通信」は本当に過渡期のメディアだったのだと思います。

 CDやライブについて、まだ「言葉」を入力して語ることしか出来なかった時代。パソコン上で動画を見るなんて、データが重すぎて全然無理! 1ギガあったら一生暮らせるじゃん! みたいな時代が00sの前半までは普通にあったわけですよ。

 僕がTFMでラジオ番組を持っていたのが2005~6年なのですが、その頃はすでに番組内でリアルタイムでメールを受け取ったりしていました。でもまだスマホも、ツイッターも普及していなくて、ウワサ話はまだ「2ちゃんねる」の掲示板の中に囲われてつぶやかれていた。僕たちの発言に関して、直接番組に抗議の電話があったりとかして、あの当時ツイッターがあったら炎上とか普通にバンバンしてただろうなーと思います。では、また!

■AG(あぐ) webディレクター。現在は渋谷の制作会社に在籍。1990年代初頭、パソコン通信NIFTY-ServeのFROCKボードオペ就任。94年 TOKYO-FM「TOWN MUSIC」サブパーソナリティを始めとして、99から2002年「やまだひさしのラジアンリミテッド」web masterなど、ラジオ番組とリスナーをネットで繋ぐ仕事に従事。並行して95年頃から現代美術家・八谷和彦氏の「メガ日記」「見ることは信じること」「PostPet」などにお手伝いで参加。

■大谷能生(おおたに よしお) 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。