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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】本音の部分ではプロモートに不満だらけだった? 妙に冷静な17歳の頃、雰囲気に不気味さ (1/3ページ)

 「単なるアイドルとして育てる気持ちは最初からありませんでした」

 当時、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で中森明菜の制作宣伝を統括していた寺林晁(現エイベックス・エンタテインメント・レーベル事業本部アドバイザー)は明かす。

 「『スター誕生!』(日本テレビ)で彼女のボーカルを初めて聴いたときから、この子はボーカリストとして育てたら大化けすると確信していました。結果論といえば簡単ですが、やはりスタッフの努力や彼女の運というのが大きかった。ただ、デビュー前からコンセプトを持った作品作りにこだわったことと、彼女のボーカル力が時代にはまったことだけは確かでしょう」

 デビュー2年目。1983年9月7日に発売された通算6枚目のシングル『禁区』は、寺林にとっても一つの区切りの作品でもあった。

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