記事詳細

【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×三浦千明(2) ヒットしている音楽が共通の「娯楽」だった (3/3ページ)

大谷:逆にいうと、マイナーな、チャートに上がってこない、TVには出てこない音楽も、いわゆるサブカルチャーとしてその頃は触れやすくなっていたと思うんですけど、そういったものはどうでしたか? 学校の話題でも、個人的にでも、でいいんですが。例えば、ヴィジュアル系っていうのが世間に認知されたのも90s中盤あたりからだと思うんですけど。

千明:えーと、私は、米米クラブが大好きだったんですね。みんながジャニーズだった時に、私は米米クラブにどハマりしてたんで、そこらへんは若干のミゾがあったんですが(笑)、一時期は朝から晩までつねに米米のことを考えていたくらいな感じで、でも、学校では普通にジャニーズとか、みんなが知ってる音楽の話はしてた。

 GLAYとか流行ってきたのが中学くらいかな。GLAYファンとか、ラルクファンとか、クラス30何人の中で2、3人、完全に「あの子ヴィジュアル系好きだよね」みたいなのが、見た目でもわかる人が出てきて(笑)、あんまりそんな話は直接はしないんですけど。あと、思い出したんですが、高校一年生の時に、X JAPANのHIDEが亡くなったんですよ。そうするとやっぱり何人かは、欠席する子がいましたね。

大谷:「あ、やっぱり……」みたいな。

千明:で、高校生になっちゃうと、ジャンルの広がりが出てきて、「音楽ファン」っていう人はみんな、自分の趣味というか、アイデンティティになる音楽を持ち始めるのは確かなんだけど、でも、カラオケはみんな歌える。しかも新曲を。どうやって覚えてたのか、いま思えば謎なんだけど、みんなで新曲を一緒に歌える時代だったんですよ。

 私の高校って、学祭の打ち上げがなんか、ダンス・スタジオみたいなところでやってたんですよね。知っている人は知ってるとこなんですけど、一つの建物に複数のスタジオが入ってて、それで、クラスごとに部屋を借りて、クラスでみんなでカラオケをやるんですよ。安室ちゃんとか、ELTとか歌って、新曲うまく歌うと盛り上がる、みたいな。

 だから、高校生だから、もうそれぞれ「自分の音楽」っていうのは見つけてた時期ではあったと思うんですが、まだみんなで、ヒットチャートの音楽で遊ぶことは普通に出来てた。娯楽として、みんなで楽しむものとしてのカラオケが中心にあって、でも、それって、今の時代だとちょっともう難しいかなーって思います。小学生とかでも、もしかしてもうかなり聴いてるものが細分化されてるかもしれないし。私の時代は、高校生でも、とりあえず、ヒットしている音楽は共通の娯楽ってことであった。珍しい時代だったのかもしれませんけど。(続く)

■三浦千明(みうら ちあき) らっぱ吹き。トランペットやコルネットやフリューゲルホルン吹きで、シロフォンやグロッケンの鍵盤打楽器弾き。洗足学園音楽大学卒業後、吹奏楽の指導を経て演奏者に。 World standard、蓮沼執太フィル、トクマルシューゴ、イトケン with SPEAKERS、星野概念実験室等、様々なライブやレコーディングに参加。

■大谷能生(おおたに よしお) 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。