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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】「賞レースはスタッフの闘い」の意識 自身は競争に対して非常に冷めていた (2/2ページ)

 そんな理由もあったのか、明菜自身は不思議と「賞レースに出たい」とか「大賞が欲しい」ということは口にしなかった。明菜の心情について、当時を知る音楽関係者は振り返ってくれた。

 「思うに、他のアイドルやアーティストとは異なり、競争する、争うという意識が明菜からは感じられませんでしたね。もしかしたら、表情に出さないだけだったのかもしれませんが…。非常に冷めていたことだけは確かです。おそらく前年の新人賞レースの際、賞レースとは『実績と受賞は別物』ということを知ってしまったのかもしれませんね。要するに、レコード売り上げとは別のものなのだと…」

 ただ、ワーナーでデビュー以前から明菜を見守り続け、信頼を寄せていた寺林晁(現エイベックス・エンタテインメント・レーベル事業本部アドバイザー)が動いていたことも大きかったという。「もしかしたら明菜なりの忖度(そんたく)があったのかもしれませんね」と前出の音楽関係者は話す。

 「明菜の意識の根底には『賞レースはスタッフの闘い』という意識がハッキリあったように思いましたね。とにかく寺林さんが賞レースの陣頭指揮を執っていましたが、その執念はすさまじかったですね。ですから、明菜も『頑張ります』と従っていたのかもしれませんが、ワーナーとしてはほとんど未経験の分野でしたからね。私自身は、もちろん新人賞レースのリベンジという気持ちでしたが、スタッフの立場としては、それはもう大変でしたよ」と振り返る田中。

 その一方で「このときは『日本レコード大賞』と、もう一つ『NHK紅白歌合戦』があったんです。もちろん、担当が分かれていますが、それぞれの立場で大変さが違うんですよ。とにかく、改めて思うのは『レコ大』は邦楽宣伝課の勝負だったように思いますね」と話す。

 そして出た結果。まずは『禁区』で『紅白』への出場が決まった。 =敬称略 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、55歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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