記事詳細

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】斬新な衣装へのこだわり 「読者はスタッフが選んだ衣装とは思わない」紅白出場決定でスタッフを困らせた (1/3ページ)

 中森明菜の6枚目のシングル『禁区』(1983年9月7日発売)は、オリコン週間ランキングで初登場1位となった(9月19日付)。

 第4弾シングル『1/2の神話』以来のものだった。そして、同曲によって大みそか恒例の『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場した。音楽関係者はいう。

 「82年は有望な新人アイドルが次々とデビューした年で、“花の82年組”ともいわれ、今でも第一線で活動しています。それだけに『紅白』出場は激戦だったんです。デビューの年に初出場を果たしたのはシブがき隊だけ。2年目の83年で初出場したのは明菜と早見優だけでした。で、小泉今日子と堀ちえみは翌84年だったんです。意外だったのは松本伊代かもしれません。『センチメンタル・ジャーニー』や『抱きしめたい』『時に愛は』など確かにヒットはあったのですが、発売のタイミングがすべて11月以降だったため、結局は出場がかないませんでした。明菜の場合、83年は、NHKによる出場させたい歌手の世論調査でも松田聖子と並んで上位クラスに入っていましたから、新人アイドルの中でも突出した存在だったことは確かです」

 実際、明菜の所属レコード会社であるワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で、明菜のプロモーターを担当していた田中良明(現在は「沢里裕二」名義で作家活動中)も話す。

関連ニュース