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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×三浦千明(3) 90年代の高校生には「みんなが知ってる歌」が一杯あった (1/3ページ)

前回から続く)

千明:まだ、みんなが知っていて、歌える歌が一杯あるっていう状況が、一般的にありましたね。90年代の後半の、高校生には。

大谷:娯楽として定着していたと。

千明:うん。みんな曲知ってるから、クラスの、そんなに仲良くない子と行っても大丈夫なんですよ、カラオケは。その時の、新しいTVドラマの主題歌っていうのが共通言語としてのヒット曲としてあって、それを覚えて歌って聞いて楽しむ、みたいなサイクルがあった。クラスのみんなと、特になんのイベント性もないまま、ふらっとカラオケ行っても楽しいっていう、稀有な時代だったんじゃないでしょうか。

大谷:あの、でも、えーと、三浦千明と言えば、年季の入ったヘヴィーなラジオ・リスナーだという話ですが。

千明:はい(笑)。昔から、今でも。

大谷:TVと関係ないラジオって一杯あるじゃないですか。そういう、自分だけで聞いている、個人的な楽しみとしてのラジオ番組みたいなものは、当時はどんな扱いだったんですか。

千明:私がその頃好きだったのは、色々ありますが、『赤坂泰彦のミリオンナイツ』。若干、小学生としては一般的ではないかもしれないけど。聴いてた時はメイン・ストリームだと思ってたんだけど(笑)、若者に向けて発信してる番組だったんだけど、そこではヒット曲じゃなくて、かかってたのはアメリカン・グラフィティ的な洋楽が多くて、それでそういう音楽を聴くようになったってことはありました。自分が聴いていたラジオではあんまりヒット曲は流れてなかったかなあ。

大谷:ラジオ番組で、好きだったけど、これはマイナーな趣味だなあって思ってたものってありますか?

千明:中学生の頃ですけど、米倉利紀ってミュージシャンの番組があって、それはホントに一人で、誰にも打ち明けることなく(笑)、一人で淡々と聴いてたんですけど。友達にGLAYのラジオを聴いてる子がいて、音楽の趣味は相入れないんですけど、お互い一人でラジオを聴いているっていうことだけですごく仲良くなった(笑)。同じ番組を聴いてっていうことじゃなくて、「ラジオを聴いてる」ってことだけで仲良くなるという。

 一人で聴いてて、クラスの友達とはその事については喋らない、っていう感じが良かったのかな、ラジオは。そういう「自分の部屋」みたいな場所も確保していて、逆に、ヒット・チャートが強かった分、「みんなが知ってる」ことが前提になっていない番組とか、曲とかの話を人前でするのは、ちょっとはばかられるような感じはあったんですよね。ランキングで世界が満たされてるから、個人的なレコメンドをそこに入れ込むっていうのは難しくて。

 あと、中・高校と吹奏楽をやっていたんですが、吹奏楽の世界もかなり世間とは違ってるんですよね。そこで知った、例えば70年代のポップス曲とかを吹奏楽ではやる訳ですが、演奏することで知ったそういう昔のすごい良い曲を、やっぱりクラスの人とは話したりはしなかった。

大谷:ちょっと、吹奏楽、ブラバンの話を聞きたいんですが、かなり厳しい部活でしたか?

千明:いや、全然そんな感じではありませんでした。

大谷:えーと、なんだっけ、普門館?

千明:吹奏楽の聖地(笑)。その普門館を、甲子園みたいにみんな目指すんですけど、私が通ってた学校はまったく箸にも棒にもかからないくらいのとこで。もちろん一生懸命やってたんだけど、コンクールっていうのは一生懸命やったぐらいじゃどうにもならない。毎日練習すればPL学園に勝てる訳じゃない、っていう(笑)。