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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】「レコ大」大賞逃すも無視できない活躍 「特別賞」に自身は違和感も… (1/3ページ)

 「レコード大賞」と「NHK紅白歌合戦」。

 1983年、デビュー2年目の中森明菜は、シングル『禁区』でこの2つの音楽イベントに明け暮れる年になった。

 「言うまでもなく『レコ大』と『紅白』では、スタッフの間でも立場によって大変さが違いました」

 というのは、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)邦楽宣伝課で明菜のプロモーターを担当していた田中良明(現在は「沢里裕二」名義で作家活動中)。

 両者の違いについて、「『紅白』は、その年における明菜の評価ですから、楽曲での実績からも対策の必要はなかったのですが、『レコ大』は、宣伝を担当してきたわれわれの力を試される場でした。しかも上司で明菜の制作と宣伝を統括していた寺林晁さん(現エイベックス・エンタテインメント・レーベル事業本部アドバイザー)のレコ大に向かう執念はすさまじいものがありました。明菜で大賞を目指すことが次の年の新人につながっていくのだといわれました。正直、当時のワーナーはアイドル系が弱かったですからね。そんな社内事情もあったのは確かです。なので明菜に賭けた部分が大きかったのですが、一番大変だったのは音楽評論家や新聞社、音楽関係者など審査員の人数がとにかく多かったことです。おそらく現在の3倍はいたんじゃないですか。経験の浅いわれわれのような宣伝マンには審査員への対策も大変でしたし、いくら働きかけても票の行方が読めませんでした。ストレスもたまるばかりでしたね」と明かす。

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