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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】デビュー3年目の勝負曲「北ウイング」 アーティストの直感でタイトル変更 (1/2ページ)

 『禁区』に続いて、1984年に発売するシングルが、中森明菜のターニングポイントになる作品だということは、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で制作宣伝に関わる誰もが感じていた。音楽関係者はいう。

 「それまでの6作は、コンセプトとして1人の女性に焦点を当てていた。その意味では作り上げた中森明菜だったのです。さらにいえば、来生えつこと来生たかおコンビの『セカンド・ラブ』はファンの間でも非常に人気が高かったのですが、マスコミは売野雅勇の“ツッパリ路線”に明菜像を求めていました。そういった明菜のイメージを今後、どう払拭していくのか。デビュー3年目の作品として勝負曲だったのは確かです」

 そんな中、7作目の作品について明菜は作詞家の康珍化と作曲家、アレンジャーの林哲司に作ってもらいたいと言い出したのだ。それも発売予定のわずか3カ月前、9月中旬のことだった。当時を林哲司が振り返る。

 「確か制作担当のディレクターから、レコーディング中だったスタジオに連絡がきたように記憶しています。最初は売野さんが僕を推薦したと聞いていたので、売野さんが詞を書くのだと思っていましたが、その後、明菜さん本人からの要望と聞きました。康さんと僕で(杉山清貴と)オメガトライブのような作品を書いてほしいと。彼女は『SUMMER SUSPICION』が好きだったようですね」

 林は70年代にシンガー・ソングライターとしてデビュー。一方で作曲、アレンジャーとして注目された。中でも竹内まりや『SEPTEMBER』(79年)は大ヒット。松田聖子にも、83年のアルバム『Canary』で2作品を提供していた。

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