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【Godiego 45 1976~2021】悲願の中国公演ロスからスティーヴの脱退、“国民的”バンドが悩みながら作った「M.O.R.」

 ミッキー吉野が悲願としていた中国公演(1980年10月)を終え、コンサートの模様は早くも12月に『中国 后醍醐』としてリリースされた。

 「僕はゴダイゴをつくる前から、ジョニー(野村)と中国に行こうと話していたからね。やっぱり“有言”というのは必要だったんだ」(ミッキー)

 2月のネパールから始まった世界行脚の1年を、「カトマンズはうれしかったし、アメリカも中国も面白かったし、本当に楽しかった。それだけ真剣勝負ができたということ。とんがっていたほうの僕らで真剣勝負ができたんだ。日本に帰ってくるとそれはできないんだ。みんなが知っている歌手だから」と、タケカワユキヒデは懐かしそうに振り返る。

 帰国してからは2年連続でNHK紅白歌合戦に出演するなど、“国民的”バンドの活動は続いた。翌81年はローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来日記念イベント(2月)、紅白で歌った「ポートピア」がキャンペーンソングとなっていた神戸ポートアイランド博覧会(3~9月)など多くのイベントに出演しながら、いつしか“式典バンド”といわれるようになった。

 ローマ教皇の来日と同時期、プログレッシヴなチャレンジもあった。NHKの特別番組『日本の響(サウンド)』のために、「In You勧進帳」を制作。歌舞伎十八番の『勧進帳』で弁慶が舞う「延年の舞」、奈良橋陽子の弁慶をイメージした歌詞、タケカワのメロディーを組み合わせた異色の作品だった。ゴダイゴとゴダイゴ・ホーンズの他、三味線、琵琶、尺八、鼓など、純邦楽の第一線奏者たちが参加した一大叙事詩ともいえる組曲だった。

 編成の複雑さが故に、演奏されたのは『日本の響』と、3月の『第10回東京音楽祭国内大会』の2回だけ。日本のロックと純邦楽の最も洗練されたクロスオーバー作品として後世に残るほどの名演で、コアなファンの間では伝説化し、ゴダイゴの音楽が大衆化したなか、スピリットを感じる作品でもあった。

 この時期のゴダイゴはラジオのスタジオライブなどにおいても、新旧のナンバーにプログレ的要素を加え、他バンドの追随を許さない圧倒的なプレイで再構築していた。吉澤洋治は、「この頃の演奏をもしレコードで残せていたら、のちの評価は全然変わっていたでしょう」と述懐している。

 しかし、80年に脱退したスティーヴ・フォックスに続いてさらに一片、マジックを構成する重要なピースがこぼれ落ちようとしていた。デビュー以来、ほぼすべての作品の英語詞を手がけてきた奈良橋のプロジェクトからの離脱である。そのあとはジョニーがウィル・ウィリアムス名義で作詞を担当し、ゴダイゴの新曲は生まれていったが、少しずつほころびは広がっていった。

 9月に発表されたアルバム『M.O.R.』は奈良橋が参加していたアルバムとは異なり、どの曲もシングルカットできそうな、特定のコンセプトを持たないポップチューンで構成されていた。

 「一番悩んだ作品かもしれない。世界の果てまで行っちゃった後で、スティーヴがいなくなったことも大きかった」(タケカワ)

 次作のアルバムの構想はなかなか固まらず、82年6月にリリースされたのは、スティーヴ時代も含めたCM音楽を集めた編集アルバム『CMソング・グラフィティ vol.2』だった。

 ■ゴダイゴ 1976年結成。「ガンダーラ」「ビューティフルネーム」「銀河鉄道999」など、今も多くの音楽ファンに愛される国民的ヒット曲を放ち、80年代には海外にも進出した伝説のロックバンド。2006年に恒久的な再始動を宣言し、今年デビュー45周年。メンバーはミッキー吉野(Key)、タケカワユキヒデ(Vo)、浅野孝已(G)、スティーヴ・フォックス(B)、トミー・スナイダー(Ds)、吉澤洋治(B、G)。“J-pop”の先駆けとしても後進のアーティストに多大な影響を与え、リスペクトされている。

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