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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】「北ウイング」後がターニングポイント 「来生姉弟&売野」…新たな作家陣加わり作品の幅が重層的に (1/2ページ)

 満を持して発売した中森明菜の第7弾シングル『北ウイング』(1984年1月1日)だったが、オリコンのシングル・チャートは、わらべ『もしも明日が…。』(83年12月21日発売)にさえぎられ、初登場2位となった。しかも、その後も1位に届かず最高位も2位という結果に終わった。

 「正直悔しい気持ちはありました」というのは同曲の作曲とアレンジを手がけた林哲司だ。

 「誰もが発売前から初登場1位を疑っていませんでしたからね。そういう意味でのプレッシャーはありましたが、一方で作品には自信を持っていたのは確かなので、結果は結果で『そうだったんだ』『仕方ないよね』というしかありません。とはいえ、チャートが気にならないといったら嘘になりますから、初登場2位と聞いたときは『えっ!』って思わず言った気がします。ただチャートが作品を評価するものではないので、今でも『北ウイング』が明菜さんの代表曲の1曲に数えられていることは良かったと思っています」

 もっともオリコンのチャートでは1位を逃したが、当時、圧倒的な視聴率を誇っていた歌謡番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では1月19日放送から2月16日放送まで何と5週連続で1位にランクされた。

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課で明菜の担当プロモーターだった田中良明(現在は「沢里裕二」として作家活動)は振り返る。

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