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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】聖子VS明菜の本格的な幕開け、7枚目のシングル『北ウイング』 「ザ・ベストテン」で別格のパワー (1/2ページ)

 中森明菜の7枚目のシングル『北ウイング』(1984年1月1日発売)は、オリコンのシングル・チャートでは1位を逃したが、『ザ・ベストテン』(TBS系)では向かうところ敵なしの快進撃だった。

 その一方でこの曲が「松田聖子vs中森明菜の本格的な幕開けになった」というのは当時を知る音楽関係者だ。

 「聖子は80年に山口百恵と入れ替わるようにデビューしたこともあり、当時、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)は“ポスト百恵”として積極的にアピールしてきました。そこに彗星(すいせい)のごとく現れたのが82年デビューの明菜でした。この時は“ポスト百恵”争いのほうが色濃かった。それが『北ウイング』以降は“ポスト百恵”というレッテルが完全に外れ、聖子対明菜という80年代の2大アイドル時代に突入していったのです」

 それも明菜にとって『北ウイング』がターニングポイントとなったゆえんかもしれない。

 聖子は初の“失恋ソング”として発売した『瞳はダイアモンド』(83年10月28日)が年を明けてもロングヒットを続けていた。

 「前作の『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』からの評判もあって、ヒットチャートは“聖子一強”でした。『瞳はダイアモンド』も大ヒットとなり、(83年)11、12月はオリコン月間1位を揺るぎないものにしていました。当然『ザ・ベストテン』も1位を独走していましたが、それを止めたのが『北ウイング』だったのです。84年1月19日放送で明菜が聖子に代わって1位を奪い取り、その後、聖子が新曲『Rock ’n Rouge』を発売(84年2月1日)したにもかかわらず5週にわたってトップを独走したのです。『ザ・ベストテン』での明菜パワーは別格でした。ちなみに『Rock ’n Rouge』は発売1カ月目の3月1日放送で1位になりました」

 当時を知るアイドル・ウオッチャーは振り返る。

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