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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】4年間15作連続のシングル初登場1位 「頂点」を極めるも…生じ始めたスタッフとの溝 (1/2ページ)

 1984年は、冬にサラエボで、夏にはロサンゼルスでオリンピックが開催された。アップルからパソコン、マッキントッシュが発売されたのもこの年。宇宙開発でもスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げに成功するなど、世界中が活気だっていた。

 そんな中、デビュー3年目を迎えた中森明菜はまさに時代の寵児(ちょうじ)といった様相を帯びていた。才能も開花し始め、音楽ばかりではなくファッションセンスにも自我が現れてきた。

 「旧世代的アイドル感覚の捨て切れなかったスタッフとは、徐々に真逆の方向に向かっているような感じが周囲にも分かりました」とは当時を知る音楽関係者。実際、制作面でもスタッフとの間で感覚の違いが出始めていた。

 しかし『北ウイング』に続くシングル『サザン・ウインド』は、豊潤で気だるい避暑地的な香りの漂うイメージが、明菜を支持するユーザーからは「聴いているだけで常夏を感じる」「ノリも良く爽快」「夏の歌をドライに歌い上げている」と評価が高まり、デビュー3年目直前の4月11日に発売されると、オリコン・シングルチャートで初登場1位を獲得。その後3週にわたってトップを独走した。

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課で明菜を担当してきた田中良明(現在は「沢里裕二」名義で作家活動中)は言う。

 「振り返ると明菜にとってこの年がターニングポイントとなった、もう一つの背景がチャートです。前の『トワイライト-夕暮れ便り』や『北ウイング』は最高位2位という結果でしたが、『サザン・ウインド』の初登場1位を契機に、その後4年間、88年に発売された『TATTOO』まで15作連続で初登場1位が続きました。明菜にはそんなシングルの記録が大きなインパクトになっていったことは確かです」

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