記事詳細

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】スタッフと感覚の相違が出始めて…“時代の空気を体現し始めた” (3/3ページ)

 「レコード会社として実績が乏しかったので、明菜を前面に出すことで業界内での“存在”や“評価”を高めたかったのでしょう。賞レースで明菜の露出が高まれば、必然的にシングルやアルバムのセールスに結び付くので一石二鳥なんです」

 と当時を知る音楽関係者はいうが、田中は明菜の心情について、「周囲から“ポスト百恵”といわれたときもそうでしたが、山口百恵さんや松田聖子さんと比較されることに明菜自身が違和感を覚えていたことは確かです。基本的に自分は自分という意識が強かったですからね、彼女の場合。ですから賞レースについては口に出しませんでした。他のアイドルは分かりませんが、明菜自身は比較されたり、競争したりといった意識はほとんど持ち合わしていなかったということです。おそらく賞レースをわれわれ以上に冷静に見ていて、実績と受賞は別だということを一番分かっていたんじゃないでしょうか。賞レースでわれわれが走り回る姿を見ながら、もしかしたら心の底では『賞レースはスタッフの頑張り』程度にしか思っていなかったかもしれませんね」。そして明菜にとっては、さらに大きな変革期が訪れようとしていた-。 =敬称略

 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、55歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

関連ニュース