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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】過去の“常識”とは比較できない特別さ スタッフも追いつけない感性 (1/2ページ)

 1970年80年代の芸能界は、大手プロダクションと大手レコード会社が協力して、新人アイドルをデビューさせては、年末に賞レースを競うのが、いわば“常識化”していた。

 古参の音楽関係者は「新人アイドルのデビューには巨額の投資をしてきた。発掘から育成、レッスンはもちろん宣伝費も…。デビューだけではなく、その後も新曲やアルバムが発売されるたびに一流ホテルを借り切って記者発表やパーティーを開くのは当たり前でした。金額のかけ方次第で注目度も変わった。今では考えられないですが、ネットのない時代です。限られたメディアの中で1人の新人を育てるのは大変だったのです」。

 その上で「1年目は投資、2年目で勝負をかけ、3年目から利益を上げていくことが理想のパターンでした。しかし中森明菜さんの場合、レコード会社はデビュー前から1億円を超える破格の宣伝費を注ぎ込み、デビュー半年後には利益に変わっていたと思いますね。振り返るとメディアが彼女の人気の高まりというか、勢いに追いついていけなかったように思います」と語る。

 当時の明菜を語る際、芸能関係者の多くが「それまでのパターンと比較はできない」という。所属レコード会社だったワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課で明菜の担当プロモーターだった田中良明(現在は「沢里裕二」として作家活動中)に聞いた。

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