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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】ほれ込んだ井上陽水自ら楽曲のプレゼン 「飾りじゃないのよ涙は」からの転換期 (1/3ページ)

 「中森明菜にとってデビュー3年目は最初の転換期だったのではないか」

 当時を知る、ある音楽評論家はいう。

 現場も慌ただしくなっていた。デビュー以前から明菜の楽曲制作を担当してきたディレクターとの間にも隙間風が吹き始めていた。

 「意思の疎通が取れなくなってきたのです。ですから、ディレクターばかりではなく現場のマネジャーも大変でしたね。当然、宣伝を担当していたわれわれともギクシャクしてきた部分もありました。楽曲の制作ばかりではなく衣装でも、それまでのアイドル的なミニスカドレスに疑問を投げかけ、この頃からでしょうか、衣装に合わせて振り付けも自分からアイデアを出すようになっていました。ま、ミニスカドレスからロングスカートに変わったというのも普通といえば普通だったのかもしれませんが…」。

 そう振り返るのは明菜が所属していたレコード会社、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で担当プロモーターだった田中良明(現在は「沢里裕二」として作家活動)だ。

 しかし、それが目に見えて変わったのが『飾りじゃないのよ涙は』からだった。

 「一気に変わった感じでした。肩パットの入ったバブル系のスーツ…。当時、はやりだったアーストンボラージュ系が多かったと思いますけどね。こういった明菜のセンスは当時、彼女のスタイリストだった東野邦子さんの影響も大きかったと思います。東野さんは明菜から信頼を得ていましたからね。『紅白』に初出場したときの衣装も担当しましたが、とにかく斬新なものを作り上げようとしていました。そういった意味では明菜と感覚的にも合っていたのだと思います」

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