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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】聖子と違い「完璧主義者」…妥協できないゆえに消えた周囲の助言 いったん身を引くことも不可避に (1/3ページ)

 デビューから3年目の中森明菜が目指していたものは、一体何だったのだろうか?

 当時の明菜を知る音楽関係者は、「おそらく」と前提した上で振り返ってくれた。

 「常にファッショナブルでアート的なものを求めていたと思います。思いますと言ったのは、どうしても、その時々では彼女が考えていることは曖昧な見方にしか感じませんでしたから。しかし、後になって明菜本人の意思が形になり出したものを見ていると、なるほど、と思えてくるのです。結局のところ結果論でしかないのですが…」と語る。

 一方で、デビュー当時から明菜の担当ディレクターとして制作現場を仕切ってきた島田雄三との間に、楽曲の選別で確執が生まれていたということについては「外から見ていて、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の雰囲気は、島田さんの企画、制作方針に間違いはなかったといった空気は漂っていましたね。コンセプトはしっかりしていましたから。それが逆に『明菜のワガママ』と捉えられてしまったのかもしれません。ただデビューして3年もたてば両者の間で感性や方向性の違いは出てきて当然でしょうし、いい作品を作りたいという気持ちは共通していましたからね」。

 そんな明菜について、南沙織や郷ひろみ、山口百恵など「昭和のアイドル」を多数、手がけてきた音楽プロデューサーの酒井政利氏(今年7月死去)は生前、「明菜を一言で表現するとしたら『完璧主義者』ということでしょうか。レコーディングでは編集にまで口を挟んだとも言われていましたからね。とにかく妥協を許さなかったと聞きました。そういったこともあって、明菜にあえて助言する人がいなくなってしまったのです。ある意味で不幸なことだったのかもしれません」としながらも、松田聖子との違いも指摘する。

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