記事詳細

【あの人も愛した京都「浜作」】寛次郎、リーチそして魯山人…名陶工が残したもの (1/2ページ)

 雪深い青森に生まれるも、少年期にゴッホの絵画を見て、「わだばゴッホになる」と芸術家を志し、木版を生かした「板画」で世界的な巨匠となった棟方志功。彼も浜作の常連だった。カウンターに出された肴(さかな)を気ままにご飯に乗せてかき込む豪快な食べっぷりだったとのこと。

 志功の同志ともいうべき存在が陶芸の大家・河井寛次郎だ。京都の五条坂の窯で、古今東西の技法を研究し科学的成果も取り入れた作陶で早くして名人とうたわれたが、美術品としての陶芸に飽き足らず、無名の職人が作り古来民衆が使ってきた工芸品に「用の美」を見いだす民藝運動に参加した。

 浜作は、今は河井寛次郎記念館となった自宅に、好物の茶碗蒸しをよく届けた。寛次郎の故郷にほど近い宍道湖のしじみが入れてあると喜ばれたという。2代目の森川武は当代に、文化勲章も人間国宝も辞退して生涯一陶工を貫いた寛次郎の誠実な人柄を繰り返し語って聞かせた。浜作には寛次郎作の器が多く残され、そこにおいしい料理が盛り付けられ、今も「用の美」を保ち続けている。

 民藝運動に深く関わったイギリス人の陶芸家バーナード・リーチも来日のたびに寛次郎や民藝の志を同じくする富本憲吉らと浜作を訪れた。生魚を食べなかった英国人は鶏肉のローストがお気に入りだった。浜作ののれんは1934年にリーチが初代森川栄のために特別に描いたもので、新本店開店に際しても新しく染められた。

関連ニュース