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【JAPANESE ROCK ANATOMY解剖学】ミッキー「10円コンサートはウッドストックの影響」 PANTA「みんなが新しい音を渇望していた」

 MICKIE ウッドストックには、間接的にではあるけど、日本のミュージシャンもものすごく刺激を受けた。1969年夏に開催された当時は、こっちはGSばっかりだったから何だかわからなかったんだけど、現地に観に行ってきた成毛(成毛滋、ギタリスト)から、とにかく「すごい、すごかった!」と教えてもらって。そして成毛が僕らを誘って、早くも1カ月後の9月22日に『10円コンサート』(日比谷野音)を開催したんだ。あれは完全にウッドストックの影響だった。シンキ、デイヴ平尾ら仲間と一緒に出て、浅野のザ・エムも出演していたね。

 PANTA いわゆる“ニューロック”(10円コンサートの正式名称は『ニューロック・ジャム・コンサート』)の色が強まっていくんだね。GSは完全に動きが止まってしまっていた。それでもカップスが最前線に残っていたのは、ロック色が強かったからだろうね。

 M その9月というのが本当にすごくて、『10円コンサート』をやる前の4日には、六本木の俳優座で『時は今/ジャズとロックの旗揚げコンサート』なんて先鋭的なことを、日野さん(日野皓正、トランペット)たちと、僕らカップス、スパイダースでやっている。月末の28日には第1回『日本ロック・フェスティバル』(新宿厚生年金会館)も行われていて、そこにもロック寄りのカップス、フラワーズ、パワーハウスとかが出ていた。

 P 立て続けにすごいね。ウッドストックのあとで、みんなが新しい音を渇望していたことがわかる。世界でも大きな動きがあって、ビートルズが事実上のラストアルバムといえる『アビイ・ロード』をリリースしたのがその9月。同時にジョン・レノンはカナダの「トロント・ロックンロール・リバイバル」フェスティバルに、オノ・ヨーコとプラスティック・オノ・バンドで出ていた。決定的な亀裂が入って徐々に崩壊していく様は、それこそ“収束”の年だった。

 M GSは解散が続いて、たとえバンドの名前は残っていても、メンバーの気持ちはバラバラになっていたり。バンドをやめてそのままミュージシャンを続ける人間、レコード会社とか裏方に入る人間、それぞれ生き方が分かれていったね。

  そのころ、俺の気持ちにも変化が生じてきていた。黒っぽい音からブルースにまでたどりつていたんだけど、疑問を感じ始めちゃったんだ。このままでいいのか? 違うんじゃないかって。ウッドストックが猛威をふるうなか、我も我もと洋楽、英語を求めていた。そのなかで、“日本語のロック、自分の言葉で欧米に一矢報いたい”と思うようになっていったんだ。

 M いよいよ、PANTAが動くわけだね。

 P そう、19歳の暮れにTOSHIと頭脳警察を結成しようと決めたんだ。

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