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【JAPANESE ROCK ANATOMY解剖学】PANTA「GS人脈が科学反応を起こして新しい形のロックが誕生」 ミッキー「70年には初めてのリーダーバンドでも活動し始めていた」

 MICKIE やばいね、シャンソンから盛り上がっちゃって。ロックとは少しズレたけど、それだけ60年代は、英米のロックとヨーロッパのポップスが混在していたことがわかってもらえたらいいなと思う。

 PANTA それが当たり前だったね。ミッキーとは同じ時代を生きてきたから、いろいろな共通点が見えてくるのがうれしい。レナウンのCM「ワンサカ娘」のシルヴィ・ヴァルタンを知らない人はいないでしょ! そのレナウンが…。いやいや、そろそろロックの話に戻らなきゃ! 担当者に怒られる(笑)。

 M そうだよ(笑)。では、日本のロック史に戻るとしよう。1969年夏のウッドストックに影響されたフェスの流れは、70年になっても続いていた。

 P 頭脳警察もバンドの正式なデビューは、70年4月1日の『第三世界のヘッドロック』コンサート(神田共立講堂)ということになっている。竹田和夫のブルース・クリエイションとか、ヒロミツのモップス、デビューしたてというか、内田裕也とザ・フラワーズがメンバーチェンジしたフラワー・トラベリン・バンドとかが一緒に出ていたね。

  ザ・ゴールデン・カップスはそのころ、69年の暮れにマーちゃんとマモルが脱退してしまい、70年初めにエディ藩グループと合流したりといろいろなことがあったんだ。一方で僕は、成毛滋、デイヴ平尾を誘って、ジャズ畑のリズム・セクションと、ホーン・セクションも加えて、初めてのリーダーバンドとなるミッキー吉野グループでも活動し始めていた。年が明けての第2回『日本ロック・フェスティバル』(東京厚生年金会館)にもグループで出ているよ。

 P ところどころでGS人脈が離合集散を繰り返して、いろいろな科学反応が起こって、新しい形のロックが形成されていった感じだね。世界に目を移してみると、70年の4月にポール・マッカートニーがビートルズからの脱退を表明。事実上の解散となって、大きな時代が終わりを告げていた。

 M 日本全体が6年前のオリンピックに続いて、大きく盛り上がったときでもあったね。3月15日から9月13日まで、万博(日本万国博覧会)が開催。ちなみにゴダイゴはこの前、大阪吹田の万博会場隣のサッカースタジアムで、ガンバ大阪『クラブ創立30周年記念マッチ』のハーフタイムショーに出演したんだ。そこで思いだしたんだけど、実は万博の東芝IHI館のメインテーマ、冨田勲さん作曲の「グローバル・ビジョンのためのマルチプル・サウンズ」では、読売日本交響楽団をバックに僕がハモンドオルガンを弾いているんだ。

  またまたミッキーのすごいキャリアが出たね。どれだけ幅が広いんだ(笑)。で、そろそろ俺たちが交わるときが近づいてくるんだね。

 

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