松原愛さん「もやもや病」から復調 命ある限り… 

★夫の献身的看病により復調

2011.01.26


松原さんは歌に生きている【拡大】

 「独占!女の60分」(テレビ朝日系)といえば、1970年代半ばから90年代前半まで、土曜日のお昼をにぎわした人気バラエティー。故・水の江瀧子さんが司会だった前期「独占!女の60分」で、コミカルで元気いっぱいのリポートをしていたのが松原愛さんだ。

 「足かけ12年です。その間に結婚、出産、子育てを並行してたんです。妊娠しておなかが大きくなってきたらマタニティー特集、子供が生まれたら七五三特集と、仕事とプライベートがゴッチャになりながら、すごく楽しませてもらいましたね」

 リポーター引退後は、テレビドラマなどに出演する一方、多忙な作詞家の夫・山田孝雄さんをサポートした。ところが2004年春、体に異変が…。

 「左手から徐々に動かなくなってきたんです。それで病院へ駆け込んだところ、最初は頚椎圧迫という診断でした。ところが、手足のまひがどんどん進むので検査を続けていったところ、あるべき脳の毛細血管が一部ないことが判明しました。いわゆる『もやもや病』だったんです」

 「もやもや病」とは原因不明の難病で、脳の内頸動脈末端部の進行性狭窄・閉塞だ。歌手の徳永英明さんが悩まされたことでも知られる。

 「そして7月に7時間に及ぶ開頭手術を受けるまでは、いつも脳梗塞、脳出血におびえていました。手術は、ホント、最後の綱だったんです」

 難手術だったが無事終了。

 「でも、しばらくは死にたくなるぐらいの頭痛が続き、それと頭の右半分がスイカのように腫れ上がって、精神的にもヘトヘト」

 それを支えたのが孝雄さんだった。実は結婚当初、胃がんで入院したことがあり、「太った鶴の恩返しだよ」(孝雄さん)と献身的に看病したのだそうだ。

 その甲斐あって、退院後は見る間に復調。05年10月に、20年ぶりとなるシングル「横浜e−じゃん」をリリースし歌手活動を再開した。

 「4月6日に日本クラウンから復帰第2弾の『東京枯れすすき』『ふたりの時計』を発売することが決まりました。両方とも人生の甘辛を知った世代のカップルに向けたラブソングで、『ふたりの時計』は作詞家の聖川湧先生とのデュエットです」

 命ある限り、いつも明るく。愛さんが病魔から得た教訓は多い。

 ■まつばら・あい 北海道旭川生まれ。1974年、日大芸術学部在学中にデュオ「あいとまこと」を結成し、映画「愛と誠」の主題歌でデビュー。翌75年、芸名を松原愛に変え、「雪の朝」でソロデビュー。またホラー映画「HOUSE/ハウス」に出演し映画デビューも果たす。その後、バラエティー番組「独占!女の60分」のアタッカー(リポーター)として活躍。夫は、「昭和かれすすき」「さらばハイセイコー」「女の出船」等のヒット曲で知られる作詞家の山田孝雄氏。

 

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