萬田久子が貫いた“女気”!有名社長との事実婚25年

2011.08.11


“盟友”として添い遂げた佐々木力さんと萬田久子【拡大】

 一般紙の訃報欄に、アパレル業界の有名社長の名。そこには《女優の萬田久子さんの事実婚の夫》とあった。未入籍を25年貫きながら、盟友として添い遂げ、がん闘病の最期1カ月を看取った。

 ユニクロを展開するファーストリテイリングの傘下で、海外人気ブランド「セオリー」の輸入販売などを手がけたリンク・セオリー・ジャパン社長、佐々木力さんが9日、スキルス性胃がんのため60歳で死去した。

 佐々木さんと女優、萬田久子(53)の交際が発覚したのは交際2年目の1987年だった。

 萬田は19歳でミス・ユニバース日本代表に選ばれ、22歳のとき、NHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で女優デビュー。人気女優の階段を駆け上がる中、出会った佐々木さんには当時、妻子がいた。

 それでも萬田は妊娠。87年10月、米ニューヨークで男児を出産した。“父”である佐々木さんが「力」の名から“リッキー”と呼ばれていたことから「陸」君と命名、後に認知した。佐々木さんは94年、妻と離婚している。

 萬田と佐々木さんは東京・目黒区に一軒家を構え同居。「親子3人でいつも仲良く散歩していましたね。力さんは、かなりまめな方で、家の仕事をこなしていました」(近所の住人)というが、籍を入れることはなかった。

 取材を続けてきた芸能評論家の肥留間正明氏は、「世間から袋叩きの上での同棲でした。いまでこそ不倫や事実婚は珍しくないが、四半世紀前の日本の芸能界には“倫理”を問う声が強かった。それでも萬田は動じないで、自分の生き方に自信と信念を持っているようでした」と振り返る。

 大阪出身でハングリー精神に富む萬田は、かつて「私はインスタントラーメンをかじって生活をしても、見栄えのいいマンションに住む」と語ったこともあるほど芯が強い。

 佐々木さんも同じ。サラリーマン人生で常に上を目指してきた。タキヒョーを振り出しに、香港の法人やワールド取締役を経て、2003年に現職へと出世。「目利きで、鼻も利く。ファッションブランドの立ち上げや株の売買で、会社の成長に貢献した。その陰には“内助の功”というより“盟友”としての萬田さんのエールがあった」(経済ジャーナリスト)

 今年5月。突然激痛に襲われた佐々木さん。検査の結果、進行が早く、手術など手の施しようがないスキルス性胃がんで、「余命1カ月」であることが萬田に告げられた。萬田は佐々木さんに告知し、ともに闘ってきたという。

 「少し前まで、2人仲良く、六本木で酔って歩く姿が見られたんですが…」と萬田を知る芸能関係者は、胸中を思いやった。

 

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