素顔の女優・三崎千恵子さん…あふれる“人情と底力”

2012.02.15


三崎千恵子さん【拡大】

 映画「男はつらいよ」の“おばちゃん”として親しまれた昭和の名脇役、三崎千恵子さんが13日、老衰のため90歳で亡くなった。最後の出演作となったのが、昨年秋に公開されたドキュメンタリー映画「ムーランルージュの青春」。三崎さんが座長だった伝説のムーランルージュ新宿座を追った本作で密着取材した田中じゅうこう監督(56)が、情に厚い三崎さんの素顔をつづった。

 ほぼ1年、特に去年の夏からは、寝たきりの状態でいらして、近しい人が見舞っても話ができないで病院におられた。

 山田洋次監督らが最後の挨拶に行かれて危篤だと言われたのが先週。大正生まれの人は、強い。1週間がんばった。

 戦前、歌手に憧れた10代からムーランルージュ新宿座に入り女優になった。そして戦後、ムーランでは夫の宮阪将嘉(まさよし)さんと一緒に座長夫人として劇団を切り盛りし、由利徹さんや森繁久彌さんの給料を払った。火の車の劇団事情で三越のきものショーなどのアルバイトをしたり、質屋通いをして団員の給金を払ったりした。

 最晩年の三崎さんは、昭和20(1945)年の日本が焼け野原になったときでも一生懸命働いたと、輝く顔で言われた。つらい時こそ仲間で団結して頑張った。

 その同じ釜の飯を喰った意識がのちのムーラン解散後、劇団民芸から寅さん映画へ向かったときの原動力になった。

 今日の三崎千恵子があるのは「ムーランのおかげ」と最後のインタビューで答えられた。

 あの明るく、泣き虫でお人よしで誰も憎まず、温かく包みこむ「おばちゃん」の性格は、修羅場を通り抜けてきた大正生まれのモガ女の底力から来ていると思う。

 実際に話を聞くと、ムーラン時代に藤枝利民という寅さんのような怪優がいて、毎度トラブルを起こすたび座長夫人の三崎さんが母親のようにかばった。戦後ムーランの6年間の楽屋は、「男はつらいよ」の「とらや」のような破天荒なエピソードにつづられていた。

 《いつでもシクじっても帰っておいで、そして腹いっぱいめしを食べたら、明日お天とうさまが上がるまでゆっくりお休みよぉ》

 三崎千恵子が役と地でほほ笑むあの笑顔をもう一度見たい。

 渥美清も森川信も下條(正巳)のおじちゃんもタコ社長(太宰久雄)もみんなあっちに逝った。

 あの温かい「とらや」の擬似家庭もフィルムの中に永遠に刻まれている。

 そして最後に1年余前「ムーランルージュの青春」の撮影のとき、三崎さんが藤枝さんや大空千尋さんなどの座員と再会して泣き笑いで抱き合い語ったことが極めて印象的に残っている。

 「敗戦で焼け野原になって、にっぽんがゼロになった時、わたしたち、働いたもんね」としみじみ言われた。

 ちょうどこのインタビューから5カ月後、東日本大震災が起きて、津波で三陸の地がゼロになってしまった。

 三崎さんの「とにかく働いたもん」という強い言葉は、今のニッポンの復興だけでなく職のない若者にも自信を失くした経営者にも単純で明快な示唆だと思う。「なんだったっていいんだよ。ゴミのひとつでもいいんだよ。拾うことからでも働くこと。汗を流すこと。ご立派なご託より、働きなよ」といわれているように思った。そんな大きな朗かさ。

 三崎千恵子の芯は、大きくて強い。もう三崎さんはいないがこの強さをぼくらは、受けつがなければならない気がする。ありがとう。三崎千恵子さん。

 心よりご冥福をお祈りします。

 ■たなか・じゅうこう 1955年2月生まれ。福岡県出身。81年に映画「西風」を脚本・監督、88年「ばってんモザイク」でATG脚本賞特別奨励賞。09年には短編映画「お家へ帰ろう−Blue Moon−」を発表。「ムーランルージュの青春」は横浜シネマ・ジャック&ベティで3月3〜16日に上映予定。

 ⇒【佐藤蛾次郎が明かす三崎千恵子さん秘話…弁当と気配り】


 

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