年末の興行界の風物詩『忠臣蔵』。映画公開が少なくなり、片岡千恵蔵の内蔵助、大川橋蔵の内匠頭、月形龍之介の上野介など往年の豪華絢爛、東映時代劇を知っている者とっては寂しい限りだ。本著は『忠臣蔵』映画の本伝はもちろん、関連や翻案モノまで77本を網羅、スタッフ・キャスト、惹句、内容に解説を加えた上、『忠臣蔵』映画の栄枯盛衰、時代変化に伴う変容を分析考究。映画好き、忠臣蔵好きに、この年末、お奨めの1冊だ。 (文・清丸恵三郎 写真・瀧誠四郎)
──労作ですね
「1999年7月、アメリカに留学したときのこと。この年、NHK大河ドラマで『元禄繚乱』が放送されていて、年末にアメリカ人の友人を集めて『忠臣蔵パーティー』なんてものを開き、日本人が師走になると『忠臣蔵』を見たくなるというメンタリティーについて話をしたのです。それが『忠臣蔵』映画に目を向ける契機でした」
──目録作成だけでも大変手間と時間がかかっています
「戦後公開の忠臣蔵映画は本伝といわれる本格的ストーリーはもちろん、『サラリーマン忠臣蔵』『携帯忠臣蔵』など翻案や関連モノまで含めると77本確認でき、文字資料や映像資料収集に10年くらいかけました」
──すべてご覧に?
「可能な限り見ましたが、フィルムの所在が不明なものなどは、映画会社に残っているメディア向けのプレスシートなんかでキャストや内容を説明しています。ただ撮影時にキャストやストーリーが変わったりすることは珍しくないので、今後とも資料収集を進め、それらを含めて改訂版を出したいですね」
──それにしても、GHQの占領政策が終わった1952年以降の忠臣蔵映画の作られ方は凄い
「まさに国民的物語。宝ですね。あるサイクルで映画化される物語は欧米にはないではないが、忠臣蔵のように年末には必ずどこかの映画会社が作品化するような物語は珍しいです」
──当時、興行成績も大変なものでした
「53年以降の10年間で見ると、その年の興行収入ナンバーワンだったものが4本。ちょっと考えられない。GHQの方針で、暴力的なものや復讐的なストーリーの映画が禁じられていたのが解禁され、反動で一挙に人気化した面もあります。が、当初は仇討ちは控え目。むしろあの時代は、映像メディアの中心に映画が位置していたし、耐え忍んだ末に大願を成就するというストーリーが高度成長期にマッチしていたのでしょう」
──配役も豪華
「大石内蔵助役はまさに大物ぞろいですが、吉良上野介役だけ見ても、先代市川中車、滝沢修、月形龍之介と演技派がそろっています」
──でも60年代半ば以降、製作本数は激減
「『忠臣蔵』は登場人物、事件の背景を含め見るための約束事(知識)が多いのですが、知らない人が多くなってきたことが一つ。また『倍返し』という言葉が流行しているように、個人的復讐心は根強くあっても、殿様のために仇討ちするという観念は理解されなくなってきた。加えて映画界の衰退もあります」
──今後、忠臣蔵映画はどうなるのでしょう
「ハリウッド製の作品が出てきたように、今後も時代性を投影した作品が作られていくのではないでしょうか。歌舞伎がそうであるように」
■あらすじ 第一部は、「戦後『忠臣蔵』関連映画総目録」であり、第二部は「戦後『忠臣蔵』映画の発展と変質」。総目録を主たる材料にして忠臣蔵映画が、GHQ占領下、日本の独立から高度成長期、テレビ普及時期といった時代背景ごとにどう変容し、観客がそれをどう受け止め、観客動員はどうだったかなどを分析、考究。データ的に圧倒されるのは第一部。60年代半ば以降、ほとんど製作されなくなったのも不思議だが、そうした事情を認識したうえで第二部を読むと、本著の面白さが増すことだろう。
■谷川建司(たにかわ・たけし) 1962年、東京都生まれの51歳。映画ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部教授から、「より多くの映画を見たい」と客員教授に。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。社会学博士。大学卒業後、日本ヘラルド映画に8年間勤務。研究分野は映像文化論、映像ジャーナリズム論。著書に『「イージーライダー」伝説』『アメリカ映画と占領政策』などがある。
「戦後『忠臣蔵』映画ポスター展」が15日までLux Gallerrie(東京都中央区京橋2の11の11 田中ビル)で開催中。入場無料。