「Free」 メリー喜多川に山口百恵 発行期間わずか1年で芸能史の超貴重な証言残す

2015.07.29


「Free」1983年7月創刊号(平凡社提供)【拡大】

 「Free」は、山口百恵の自伝「蒼い時」をプロデュースしたことで名を成した残間里江子が、平凡社に編集長として招かれて出版した。時は1983年、数年後施行の男女雇用機会均等法を目前に「男女の一線をこえた女性誌だから」をキャッチコピーとして創刊した。

 化粧やファッションのみを中心とする従来の女性誌の幅を超えて、女性のワークスタイルや政治なども扱い、男性ヌードを載せたり、創刊時には郷ひろみを女装させた広告でも話題を呼んだ。

 同誌は、今に至る芸能史の貴重な記録を2つも残している。ひとつは、決してメディアに登場することのなかったジャニーズ事務所の女帝メリー喜多川のインタビュー(1983年11月号)。そして、もうひとつは結婚後3年を経た山口(三浦)百恵への取材だ(1983年8月号)。

 メリー喜多川は、当時、人気絶頂のたのきんトリオマネジャーとしての日々を主に語っているが、まだ現場作業もこなす恐らく唯一の彼女自身による仕事を語る証言となっている。

 球場でのビッグコンサート前、誰もいない客席に座るジーンズ姿で野球帽をかぶった彼女の珍しい写真も見ものだが、隣に若い女の子が写る写真横には、「ひとり娘のジュリーちゃん。(中略)メリーさんとしては、自分と同じ仕事をして欲しいようだがジュリーちゃんはお嫁に行きたいとのこと」とのキャプションが付いており、歴史の流れを感じさせる。

 また、「どんなにすばらしい能力を持った人でも、運がなかったらだめだと思いますよ」との言葉は、彼女が語ると一層重く感じられる。彼女は、いつまでこの仕事を続けるかと問われて「死ぬまでだと思うわ、たぶん。私、仕事がなくなったら、きっとだめになると思うもの」と答えた。

 一方、山口百恵は、復帰の可能性を尋ねられ、「芸能界への復帰は、百パーセントない、ですね」と応じている。二人二様、方向はま逆だが、30年経ってもその言葉が事実そのままであることの重さに感じ入る。

 「Free」はほんの1年、月刊誌で13冊分しか続かなかったが、期せずして芸能界で超長く、「生き続けたもの」と「自らの意思で退き続けたもの」、二大VIPの肉声が残されている。雑誌の価値は長く続くことのみでない。その時でなければ拾えず、しかも長く歴史の証言となりうるような声を記録していくことにあると伝えてくれる。 =敬称略 (矢吹博志)

 

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