家に居たいと願った談志さんですが、2011年9月12日、入院。そして10月27日、容態が急変します。一時、心肺停止となりましたが、蘇生し、人工呼吸器で生き返ります。その後、意識を失ったまま3週間を過ごし、とうとう11月21日、あらゆる延命治療を施しながらも、力尽き、あの世へと旅立たれたとのことです。弓子さんは、あるインタビューでこう振り返っています。
「意識を失った最後の3週間は何だったんでしょう。でも、単純にそこに父がいてくれて、触ればあったかい。生きてくれてるんだなあと思いました」
本人が、最期の3週間の延命治療をどう感じていたのかは、もはや誰もわかりません。もしも、談志さんがリビング・ウィル(いのちの遺言状、終末期医療への意思を明らかにした書面)を書かれていたら……状況は変わっていたかもしれません。お嬢さんはさらにこう回想されています。
「父が時間をかけて死にゆくさまを見せてくれたことに、今、感謝しています。家族が明るく、めそめそしないで生きていられるのは、父が頑張ってくれた時間のおかげです」と。
全身全霊で噺家として生きた希代の天才が、最期だけはゆっくり家族の時間を過ごせた、ということなのかもしれません。このように、延命治療は、本人のためというより、家族のためにある、ということが往々にしてあるのが日本の医療の現実です。納得のいく最期、というのも人それぞれ。一人称と二人称、三人称で評価が真逆なケースもよく経験します。単純に良いとか悪いとか、二元論で語れることではないのです。
談志さんはリビング・ウィルはなかったものの、戒名は生前に自ら考えていました。「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」。この戒名のおかげで、受け入れてくれるお寺がなかなか見つからなかったとか(笑)。亡くなっても尚、談志さんの笑いは死んでいません。ご冥福をお祈りいたします。
■長尾和宏(ながお・かずひろ) 長尾クリニック院長。1958年香川県出身。1984年に東京医科大学卒業、大阪大学第二内科入局。阪神大震災をきっかけに、兵庫県尼崎市で長尾クリニック開業。現在クリニックでは計7人の医師が365日24時間態勢で外来診療と在宅医療に取り組んでいる。趣味はゴルフと音楽。著書は「長尾先生、「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)、「『平穏死』10の条件」(同)、「抗がん剤10の『やめどき』」(同)。