今月7日、肺炎のため83歳で死去した放送作家でタレント、永六輔さん。50年にわたって交遊のある俳優、毒蝮三太夫(80)は「大きな昭和の星が堕ちた感じだよ」と死を悼み、その素顔をしのんだ。
1970年、TBSラジオ「永六輔の土曜ワイドラジオTokyo」で共演。こう振り返る。
「永さんは大御所でね。リポートも気に入らないと途中で切られてしまう。何をやっているのか分からないのはダメ。気に入られるリポートをしようと必死だったね。久米宏も小島一慶もそうやって鍛えられたんだ。俺が今、まだラジオでやっていられるのも永さんのおかげだよ」
脊柱損傷手術で入院していた永さんが退院する直前の4月13日、見舞いにいったという。
「にこにこしていてね。でも体はかなり小さくなって、もう復帰はないんだろうなって、俺も覚悟したね。燃え尽きたような気がしたね」
同じ江戸っ子、下町生まれだが、「永さんはエリートの江戸っ子。浅草のお寺の息子だもの。大工の息子の俺とは生まれ育ちが違うんだよ」。
昨年、寄席で共演したときのことが印象深い。憲法改正の話になると、永さんが「押しつけられた憲法でも、いいものはいいんだ」と声をあげたという。
「バリバリの護憲派だと思うだろ。でも一方で『平和を一番願っているのは、昭和天皇であり、今の天皇陛下だ』って言うんだよ。意外とニュートラル。いいものはいいと認めるところは、まさに江戸っ子だな」
そして続ける。
「何でも笑い飛ばしてやろうという精神は受け継ぎたいね。それを次の世代につなげていくのも、残った俺が元気なうちにやらないといけない役目だろうね」