《街の灯りが、とてもきれいね》
少し鼻にかかった声で歌う、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」(1968年)はミリオンセラーの大ヒットになった。
いきなりの大ヒットと思われがちだが、フィギュアスケートの選手時代にスカウトされ、60年に初舞台。64年に「ネエ、聞いてよママ」でデビューするも、24作目の「太陽は泣いている」でようやくオリコン18位になり、「ブルー・ライト・ヨコハマ」はなんと26作目だった。
その後は女優業が主体になり、歌手活動は減少。映画「青春の門」で脚光を浴び、82年「野獣刑事」と「男はつらいよ・寅次郎あじさいの恋」の演技が認められ、第6回日本アカデミー賞主演女優賞を獲得した。
彼女の制作担当となり、初めて会った時の印象は実に存在感があり、きれいな人だった。駆け出しの小僧だった僕は一気に企画内容を話したように記憶している。
黙って聞いてくれ、いい悪いの答えはなく「あっ、これからサンマ買いに行かなきゃ」で終わった。実にあっけらかんとした打ち合わせだった。
続くアルバム制作は作詞家、橋本淳のアイデアでニューミュージックの細野晴臣率いるティン・パン・アレーとのコラボ企画であった。
当時ハイ・ファイ・セットが提唱したボーカル・イージーリスニングをヒントに、あくまで歌謡曲の匂いを残し、細野の軽いメロディー・ラインとの融合が狙いだった。
企画は話題を呼び、周囲からは音の完成を期待された。まだ、LPの土壌のない時代で、このアルバムで彼女の新鮮さがセールスに繋がれば新しい展開の一歩と思った。