しかし、ミリオンセラーの大ヒットになり、「チータ」とのニックネームで呼ばれ、当時のトレンド雑誌の月刊「明星」「平凡」の女性タレント人気投票で1位に躍り出た。
この曲を制作したのは実は馬淵玄三さん(故人)。五木寛之の小説『海峡物語』に登場する高円寺竜三(演歌の竜)のモデルと言われた人だ。89年にお目にかかったが、高齢ではあったが話し出したら止まらない迫力があった。
「馬でもなんでもトップとビリが面白い。真ん中うろうろはつまらない」と信条を語っていた。水前寺も4年目を過ぎ、大きなヒットが欲しかっただけに、作詞の星野哲郎と狙い撃ちで見事に大ヒットさせたのだ。
馬淵さんはいつも時代を注視していた。だからこそ、国あげての応援歌、労働者の応援歌、そして老若男女の応援歌となり得たのだ。
■篠木雅博(しのき・まさひろ) 徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問。1950年生まれ。渡辺プロダクションを経て、東芝EMI(現ユニバーサル)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、五木ひろしらを手がけた。徳間ではリュ・シウォン、Perfumeらを担当した。