12日に肺炎のため83歳で急死した歌手、ペギー葉山さん。今年デビュー65周年という節目を迎え、精力的に活動している矢先だった。「ドレミの歌」を訳詞するなど、日本を代表するポップス歌手としてだけでなく、中高年には“ウルトラの母”としてもなじみ深かったペギーさん。またひとり、戦後の芸能史を彩ったスターが旅立った。
ペギーさんは今月10日、体調を崩し、東京都内の病院に入院。その後、肺炎を起こして12日午前に死去した。
「今年はデビュー65周年とあって、テレビや新聞の取材を精力的にやっていた。先月29日にも東京・日生劇場でステージに上がっていただけに、まさに急死」と音楽関係者も驚きを隠せない。5月にも大阪でのコンサートが予定されていた。
ペギーさんは戦後、ムッシュかまやつさん(3月1日死去、享年78)の父であるティーブ・釜萢氏の口利きで、ジャズバンドの専属歌手として活動を開始。
1952年にレコードデビューした後は、「南国土佐を後にして」(59年)や「学生時代」(64年)といったヒット曲で知られる。デビュー後、レコーディングした楽曲は約2009曲にのぼり、2016年には新曲「おもいでの岬」を発表していた。