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【当てちゃる券】続・小倉と久留米の選手同士の仲は?(上)

≪2017年9月25日発行、夕刊フジから≫

 以前のコラムでは、限りなく他県に近い同県、小倉と久留米の選手たちのことを書いた。今回は引き続き、なぜそうなのか私の考えを書きたい。

 昭和58年、私はA級の優勝候補として久留米競輪を初めて走った。決勝には福岡県勢が4人乗った。だが、久留米の3人は当然のように「地元ライン」で結束し、私は別線となった。

 連勝で勝ち上がり、印は本命だったが、レースは熊本のマーク屋を連れて久留米ラインをまくっての2着だった。このとき「ここは地元じゃねーな」と感じた。

 私の住む北九州市(小倉)は、戦前から炭鉱や製鉄で栄え、他県から来た多くの流入者で出来上がったとても“チャンプルー”な都市だ。

 かたや久留米は、九州一の大河・筑後川のもと、肥沃(ひよく)な筑後平野での農耕が中心で人の流入も少なかった。そもそも小倉と久留米では成り立ちが違い、そこに住む人の気質も違うのだ。

 もともと久留米には排他的な雰囲気がある。この気質の違いは、他県の選手の「小倉の選手のほうがあっさりしていて話しやすい」という意見からも分かる。

 そして、後に特別競輪の決勝で九州の競輪界を揺るがす大事件が起きた。この話は明日書こうと思う。(元競輪選手) 

■内田浩司(うちだ・こうじ) 1962年8月26日生まれ。福岡県出身。83年4月に51期生としてデビューし、S級上位で活躍。2015年10月29日に引退。通算435勝、優勝34回(記念Vは92年門司記念など6回)。FI先行・吉岡稔真(としまさ=福岡県65期)元選手の兄弟子で連携は多数。実直な性格と厳しい指導から“鬼軍曹”として恐れられていた。夕刊フジ競輪面にコラム『当てちゃる券』を連載中。競輪祭では特別コラム『小倉競輪祭 なう&リメンバー』を執筆。

※原則として新聞掲載時のまま再録していますが、一部加筆・修正を行っています。